ポートモア・ガーデンズの歴史
ゲートから車を停める駐車場まで行くと、ポートモア・ガーデンズの大きな邸宅が見えて来ます。ここが個人の家!?と驚くほどの大きさ。
こちらの邸宅、通称ポートモア・ハウスは、1740年ごろにこの土地を購入し、邸宅の基盤を築いたポートモア伯爵、ディヴィッド・コリヤー卿にちなんで、その名が付けられたそう。
こちらの邸宅、通称ポートモア・ハウスは、1740年ごろにこの土地を購入し、邸宅の基盤を築いたポートモア伯爵、ディヴィッド・コリヤー卿にちなんで、その名が付けられたそう。
1798年に、ポートモアに以前存在した邸宅、森林、農場や畑といった敷地はアレクサンダー・マッケンジーによって購入されました。
数年後にそこを継承した彼の息子であるコリン・マッケンジーによって修復、改装の計画が立てられました。彼の時代には現在の庭園の基礎となる改築が行われています。
なお、コリン・マッケンジーは以前ご紹介したアボッツフォード・ハウスの持ち主であるウォルター・スコットの友人であり、弁護士として活躍し、また作家としてもその名を残しています。ガーデンの歴史を探っていくと、思わぬところで人や場所などがリンクしているのが分かります。
数年後にそこを継承した彼の息子であるコリン・マッケンジーによって修復、改装の計画が立てられました。彼の時代には現在の庭園の基礎となる改築が行われています。
なお、コリン・マッケンジーは以前ご紹介したアボッツフォード・ハウスの持ち主であるウォルター・スコットの友人であり、弁護士として活躍し、また作家としてもその名を残しています。ガーデンの歴史を探っていくと、思わぬところで人や場所などがリンクしているのが分かります。
1830年にコリン・マッケンジーの息子、ウィリアム・フォーブス・マッケンジーがこの土地を引き継ぎ、1850年に現在もその姿を見せるポートモア・ハウスの建設が始まりました。
設計を受け持ったのはエディンバラのボーディング・スクールであるフェテス・カレッジをデザインした著名な建築家、ディヴィッド・ブライスです。
ブライスは全国の大邸宅の建設と改築においても成功している事で有名であり、ポートモア・ハウスはジャコビアン様式の赤い砂岩を使った邸宅として完成しました。
設計を受け持ったのはエディンバラのボーディング・スクールであるフェテス・カレッジをデザインした著名な建築家、ディヴィッド・ブライスです。
ブライスは全国の大邸宅の建設と改築においても成功している事で有名であり、ポートモア・ハウスはジャコビアン様式の赤い砂岩を使った邸宅として完成しました。
1860年代にウィリアム・フォーブス・マッケンジーが亡くなった後は息子のコリン・ジェームズ・マッケンジーが引き継ぎますが、その30年後にマッケンジー一家はポートモアの邸宅や土地を売却しています。
第一次世界大戦が始まる前に、ポートモアの邸宅と土地はロバートソン家が購入し、そして再び売却。
1970年代初期に、現在の所有者であるディヴィッド&クリッシー・リード夫妻に引き継がれています。
第一次世界大戦が始まる前に、ポートモアの邸宅と土地はロバートソン家が購入し、そして再び売却。
1970年代初期に、現在の所有者であるディヴィッド&クリッシー・リード夫妻に引き継がれています。
殆ど放置されていた状態であった邸宅の改装を始めたリード夫妻ですが、邸宅は一度1986年に起きた火災で半分が崩壊してしまったそう。
しかしそこからまた邸宅を修復したリード夫妻は、滅びていた状態の庭園を現在のように見事に蘇らせ、クラシカルでエレガントな、滞在する人を魅了してやまない、色鮮やかな空間へと造り変えたのです。
しかしそこからまた邸宅を修復したリード夫妻は、滅びていた状態の庭園を現在のように見事に蘇らせ、クラシカルでエレガントな、滞在する人を魅了してやまない、色鮮やかな空間へと造り変えたのです。
ポートモアの庭園へ
ポートモア・ハウスを通り過ぎ、新たに木々が植栽されているエリアを抜けると、庭園への入り口になります。
左右に低木が植えられた小道を通って行くと、森林に取り囲まれた、ウォールド・ガーデンの壁が見えて来ます。
左右に低木が植えられた小道を通って行くと、森林に取り囲まれた、ウォールド・ガーデンの壁が見えて来ます。