フロアーズ・カースルの設計プラン
先にも述べたように、5代目伯爵であり、1代目ロックスバラ公爵となったジョン・カーが、その地位にふさわしい邸宅を持とうとしたのがフロアーズ・カースルの始まりでした。
その際、彼はスコットランドの建築家であるウィリアム・アダム(1689~1748)に設計を依頼します。なお、この建築には1721年から1726年まで、5年の年月が費やされました。
設計を依頼されたウィリアム・アダムは、そののちに有名な建築家となるロバート・アダムの父であり、18世紀初頭ではカントリーハウスの最高建築家と言われていた人物でした。
その際、彼はスコットランドの建築家であるウィリアム・アダム(1689~1748)に設計を依頼します。なお、この建築には1721年から1726年まで、5年の年月が費やされました。
設計を依頼されたウィリアム・アダムは、そののちに有名な建築家となるロバート・アダムの父であり、18世紀初頭ではカントリーハウスの最高建築家と言われていた人物でした。
ウィリアム・アダムは落ち着いた雰囲気を持つ、その時代の流行であったパッラーディオ風の家の計画を立て、また、彼は邸宅を取り巻くように存在するフォーマルな庭園を配置しました。
ウィリアム・アダムが設計したデザインは、現在見る事の出来るガーデンの基礎となっており、精巧な庭園と、ガーデンのレイアウトを形成したそうです。
ウィリアム・アダムが設計したデザインは、現在見る事の出来るガーデンの基礎となっており、精巧な庭園と、ガーデンのレイアウトを形成したそうです。
大規模な改装 ~ 現在のフロアーズ・カースルへ ~
フロアーズ・カースルはその後、何度か改装、拡大されましたが、この邸宅を現在のように美しく蘇らせたのは、ロックスバラ6代目公爵、ジェームズ・イネス・カーの時代です。
彼は1837年に改装に着手しています。
彼は1837年に改装に着手しています。
6代目公爵ジェームズ・イネス・カーが改装を依頼したのは、のちに19世紀最高の建築家と言われ、またエディンバラやスコットランド各地で多くの建物を設計した、ウィリアム・ヘンリー・プレイフェアでした。
彼はその偉大な才能を発揮し、それまでのジョージ王朝のネオ・クラシックな邸宅を、スチュアート朝の華やかで豪華な邸宅に造り変えました。
この近くにはアボッツフォード・ハウスがあり、その住人であるサー・ウォルター・スコットは文学者らしく、フロアーズ・カースルをシェイクスピアの作品である『真夏の夜の夢』を連想したのでしょうか、「オベロンとタイタニアの王国」と呼んでいたのだそう。
彼はその偉大な才能を発揮し、それまでのジョージ王朝のネオ・クラシックな邸宅を、スチュアート朝の華やかで豪華な邸宅に造り変えました。
この近くにはアボッツフォード・ハウスがあり、その住人であるサー・ウォルター・スコットは文学者らしく、フロアーズ・カースルをシェイクスピアの作品である『真夏の夜の夢』を連想したのでしょうか、「オベロンとタイタニアの王国」と呼んでいたのだそう。
フロアーズ・カースルの庭園
先にご紹介したように、フロアーズ・カースルの庭園の最初のレイアウトは、ロックスバラ1代目公爵、ジョン・カーが依頼した建築家、ウィリアム・アダムのデザインから生まれています。
現在見る事の出来るウォールド・ガーデンは、1857年にフロアーズ・カースルの西側に移動させられたものとなります。
現在見る事の出来るウォールド・ガーデンは、1857年にフロアーズ・カースルの西側に移動させられたものとなります。
広い駐車場の前には、かつては馬舎だった建物でしょうか、これが長く連なっているのが特徴です。
入り口から庭園内に入って最初に驚く事は、フロアーズ・カースルの敷地内に入った時と同じ印象で、その広さ! 終わりが見えないほどの大きさにまず圧倒されてしまいます。
それもそのはず、このウォールドガーデンの大きさは4エーカー(16187.4㎡、約4918坪)、東京ドーム0.3個分もの広さがあるのです。
入り口から庭園内に入って最初に驚く事は、フロアーズ・カースルの敷地内に入った時と同じ印象で、その広さ! 終わりが見えないほどの大きさにまず圧倒されてしまいます。
それもそのはず、このウォールドガーデンの大きさは4エーカー(16187.4㎡、約4918坪)、東京ドーム0.3個分もの広さがあるのです。