フロアーズ・カースルの始まり ~ ロックスバラ1代目公爵、ジョン・カー ~
中世の間、現在のフロアーズ・カースルの周辺はケルソー修道院の修道士が所有していましたが、宗教改革の後、ジェームズ6世はロックスバラ1代目伯爵、ロバート・カーにこの敷地を与えます。
これがフロアーズ・カースルの始まりと言えるでしょう。
カー家は順調に出世を続け、ロックスバラ5代目伯爵であったジョン・カーは「ヨーロッパで最高の才能を発揮する若者」と表現されていたそうです。
彼はスチュアート朝最後の君主であったアン女王より、公爵の位を授かり、ロックスバラ1代目公爵となります。
これがフロアーズ・カースルの始まりと言えるでしょう。
カー家は順調に出世を続け、ロックスバラ5代目伯爵であったジョン・カーは「ヨーロッパで最高の才能を発揮する若者」と表現されていたそうです。
彼はスチュアート朝最後の君主であったアン女王より、公爵の位を授かり、ロックスバラ1代目公爵となります。
1代目公爵という名誉な地位を得たジョン・カーは、その新しい地位を反映させるために、1721年にフロアーズ・カースルという新たな邸宅を建設する事にします。
彼は以前その場所にあった古い塔の家を、その時代にあったジョージ王朝の屋敷に変え、現在のフロアーズ・カースルの基礎とも言える邸宅を建てました。
彼は以前その場所にあった古い塔の家を、その時代にあったジョージ王朝の屋敷に変え、現在のフロアーズ・カースルの基礎とも言える邸宅を建てました。
称号存続の危機
輝かしい地位と名誉を得ていたカー家ですが、その称号の存続が危ぶまれる時期がありました。
1代目公爵と同じ名前でややこしいのですが、彼の孫に当たる3代目公爵ジョン・カーはドイツのメクレンバーグ・ストレリッツ公の長女と恋に落ちます。
1代目公爵と同じ名前でややこしいのですが、彼の孫に当たる3代目公爵ジョン・カーはドイツのメクレンバーグ・ストレリッツ公の長女と恋に落ちます。
しかし彼女の妹である、シャーロット・メクレンバーグ・ストレリッツが、ジョージ3世の王妃となったため、王妃の姉とは結婚出来ない決まりの為に、二人が結ばれる事は叶いませんでした。
結婚する事が出来なかった彼らは、一生独身でいる事を誓い合います。
非常にロマンティックで悲しい恋物語なのですが、この悲恋がカー家のタイトル存続に大きく関わって来る事になります。
結婚する事が出来なかった彼らは、一生独身でいる事を誓い合います。
非常にロマンティックで悲しい恋物語なのですが、この悲恋がカー家のタイトル存続に大きく関わって来る事になります。
結婚をせず、子供のいなかった3代目公爵が亡くなった1804年、従弟であったウィリアム・カーがロックスバラ4代目公爵を引き継ぎます。
しかし彼もまた子供がいないまま、3代目公爵、ジョン・カーが死去した1年後に亡くなってしまいます。
このため、公爵の地位の継承権を得るべく、カー家の親族間で、長く激しい争いが起こってしまうのでした。
しかし彼もまた子供がいないまま、3代目公爵、ジョン・カーが死去した1年後に亡くなってしまいます。
このため、公爵の地位の継承権を得るべく、カー家の親族間で、長く激しい争いが起こってしまうのでした。
ロックスバラの1代目、そして2代目伯爵から派生した4名の申立人が、裁判所で公爵の位の権利を争います。
この訴訟は7年も続き、貴族院の特権委員会に持ち込まれます。裁判所は1812年、1代目ロックスバラ伯爵の子孫であるジェームズ・イネス・カーにその権限を認める判決を出しました。
この訴訟は7年も続き、貴族院の特権委員会に持ち込まれます。裁判所は1812年、1代目ロックスバラ伯爵の子孫であるジェームズ・イネス・カーにその権限を認める判決を出しました。
この訴訟の費用を支払うために、3代目公爵、ジョン・カーの有名なコレクションであった貴重な図書が売却されました。
3代目公爵、ジョン・カーが所持していたデカメロンの初版の価格は2260ポンドとなり、当時では莫大な金額だったそうです。
3代目公爵、ジョン・カーが所持していたデカメロンの初版の価格は2260ポンドとなり、当時では莫大な金額だったそうです。