2017年10月29日 更新

スコットランドでガーデンを楽しもう! ~フロアーズ・カースル~

スコットランド南東部、ボーダーズエリアに位置するフロアーズ・カースルは、ロックスバラ公爵の邸宅として知られています。 非常に優雅で美しいカントリーハウスを持ち、広大な敷地を誇るフロアーズ・カースルには、大きさでも、そして華やかさでも群を抜いたガーデンが存在します。 今回はスコットランドとイギリスとの国境に近い場所にある、美しく色鮮やかなフロアーズ・カースルのガーデンのレポートをお届けします!

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フロアーズ・カースルの始まり ~ ロックスバラ1代目公爵、ジョン・カー ~

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中世の間、現在のフロアーズ・カースルの周辺はケルソー修道院の修道士が所有していましたが、宗教改革の後、ジェームズ6世はロックスバラ1代目伯爵、ロバート・カーにこの敷地を与えます。

これがフロアーズ・カースルの始まりと言えるでしょう。

カー家は順調に出世を続け、ロックスバラ5代目伯爵であったジョン・カーは「ヨーロッパで最高の才能を発揮する若者」と表現されていたそうです。

彼はスチュアート朝最後の君主であったアン女王より、公爵の位を授かり、ロックスバラ1代目公爵となります。
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1代目公爵という名誉な地位を得たジョン・カーは、その新しい地位を反映させるために、1721年にフロアーズ・カースルという新たな邸宅を建設する事にします。

彼は以前その場所にあった古い塔の家を、その時代にあったジョージ王朝の屋敷に変え、現在のフロアーズ・カースルの基礎とも言える邸宅を建てました。

称号存続の危機

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輝かしい地位と名誉を得ていたカー家ですが、その称号の存続が危ぶまれる時期がありました。

1代目公爵と同じ名前でややこしいのですが、彼の孫に当たる3代目公爵ジョン・カーはドイツのメクレンバーグ・ストレリッツ公の長女と恋に落ちます。

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しかし彼女の妹である、シャーロット・メクレンバーグ・ストレリッツが、ジョージ3世の王妃となったため、王妃の姉とは結婚出来ない決まりの為に、二人が結ばれる事は叶いませんでした。

結婚する事が出来なかった彼らは、一生独身でいる事を誓い合います。

非常にロマンティックで悲しい恋物語なのですが、この悲恋がカー家のタイトル存続に大きく関わって来る事になります。
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結婚をせず、子供のいなかった3代目公爵が亡くなった1804年、従弟であったウィリアム・カーがロックスバラ4代目公爵を引き継ぎます。

しかし彼もまた子供がいないまま、3代目公爵、ジョン・カーが死去した1年後に亡くなってしまいます。

このため、公爵の地位の継承権を得るべく、カー家の親族間で、長く激しい争いが起こってしまうのでした。
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ロックスバラの1代目、そして2代目伯爵から派生した4名の申立人が、裁判所で公爵の位の権利を争います。

この訴訟は7年も続き、貴族院の特権委員会に持ち込まれます。裁判所は1812年、1代目ロックスバラ伯爵の子孫であるジェームズ・イネス・カーにその権限を認める判決を出しました。

この訴訟の費用を支払うために、3代目公爵、ジョン・カーの有名なコレクションであった貴重な図書が売却されました。

3代目公爵、ジョン・カーが所持していたデカメロンの初版の価格は2260ポンドとなり、当時では莫大な金額だったそうです。
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi