2017年10月16日 更新

イングリッシュ・ガーデンを巡る旅~スモールハイス・プレイスを訪ねて~

魅力的なガーデンが数多く点在するケント州。ここにあまり名は知られていないけれど、小さく素朴なガーデンを楽しめる、スモールハイス・プレイスがあります。英国を代表する女優であったエレン・テリーの生涯と、味わい深い彼女の自宅やシアター、そしてガーデンをレポートします!

[PR]ご近所さんとはちょっと違う、個性的なお庭用品ならガーデンガーデン♪

16歳、初めての結婚

 (6458)

エレンは同じく女優であった3歳年上の姉、ケイトと共に、著名な芸術家であったジョージ・フレデリック・ワッツに肖像画を描いてもらい、ここで二人は恋に落ちました。

ワッツはエレンにプロポーズし、エレンはワッツのその洗練された芸術性や、エレガントなライフスタイルに感銘を受け、1864年に二人は結婚します。

しかしエレンはその時まだ16歳であり、ワッツは30歳も年上の46歳でした。
二人は僅か10か月で別居となりますが、エレンはこの短い期間に、その時代の文化を代表するようなきらびやかで、才能あふれる人々に出会います。

芸術家たちのアイコンに

 (6413)

そこには詩人のロバート・ブラウニング、アルフレッド・テニスン、のちに首相となるウィリアム・グラッドストンや政治家、小説家でもある初代ビーコンズフィールド伯爵のベンジャミン・ディズレーリ、写真家のジュリア・マーガレット・キャメロンが含まれ、キャメロンが撮影したエレンのポートレートは非常に有名なものとなりました。

エレンがこのような、当時の新進的な人々と知り合うようになったのは、ワッツが描いたエレンの肖像画や、二人の30歳の年齢差を超えた恋愛関係が、この時代の詩人や画家といったアーティストたちの中で話題となっていたからです。

エレン・テリーは若くして、ヴィクトリア朝の美術家や批評家のグループであるラファエロ前派や、オスカー・ワイルドを含む耽美主義たちの、アイコン的存在となりました。

二人の子供

 (6416)

ワッツとの結婚で、一度は舞台から遠ざかったエレンですが、再び舞台に復帰。
そして1868年、21歳の時に14歳年上の、進歩的な建築デザイナーであり、また随筆家でもあったエドワード・ウィリアム・ゴッドウィンと交際を始めます。

二人はルートンの近くにあるハーペンデンへ移住し、エレンはその際に舞台から遠ざかります。
エレンとワッツは別居していたものの、まだ結婚したままであり、二人は結婚をすることは出来ませんでした。

しかしエレンは1869年に娘のイーディス・クレイグを、そして1872年に息子のエドワード・ゴードン・クレイグを授かります。
二人の子供の苗字が『クレイグ』となっているのは、非嫡出子である事の汚名を避ける為でした。

それでもこの時代において、彼らの婚姻外の同棲と子供の出産は、大変スキャンダラスなものとして扱われていたと言われています。

なお、娘のイーディスは舞台監督、またコスチュームデザイナーとして活躍しています。

また、彼女の息子であるエドワード・ゴードン・クレイグは俳優、作家、舞台美術監督となり、情熱的なアメリカ人の舞踏家である、イサドラ・ダンカンの恋人となりました。

舞台の上で演じる事を生業とし、恋愛に情熱的な母と同じような女性に惹かれたのかもしれませんね。

2度目の結婚

 (6419)

結婚しないまま二人の子供を得たエレンとゴッドウィンですが、彼らの交際は1875年に終わりを告げ、エレンは前年の1874年から再び演劇界に戻ります。

1877年、エレンは30歳で最初の結婚相手であるワッツと正式に離婚。
同じ年に俳優でジャーナリストのチャールズ・クレバリング・ワーデル・ケリーと、2度目の結婚をしますが、この結婚も長くは続かず、4年後の1881年に二人は別れています。

公私共のパートナー

 (6443)

1878年、エレンが31歳の時に、ライシアム・シアターでヘンリー・アーヴィングの劇団に主演女優として参加し、間もなく彼女は英国を代表する、シェイクスピアの主演女優として見なされるまでになります。

やがてエレンはアーヴィングとの交際を始め、二人は恋愛関係において、また仕事上でもパートナーとなりました。

しかしアーヴィングは別居こそしているものの、まだ事実上結婚している妻がいたのですが、二人はその後も恋愛関係を続けています。

のちにアーヴィングはエレンの二人の子供のゴッドファーザーをも務め、彼らは舞台では共に共演し、劇団を統治し続けます。

そして休暇には一緒に過ごし、しばし旅行へと出かけ、公私ともに二人での時間を大切にしていたようです。
66 件
[PR]ご近所さんとはちょっと違う、個性的なお庭用品ならガーデンガーデン♪

関連する記事 こんな記事も人気です♪

この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi