2018年10月1日 更新

イングリッシュガーデンを巡る旅 ~ヒドコート・マナー・ガーデン Vol.2 ~

数ある英国の庭園の中でも、世界中の園芸ファンにその名を知られており、かつ人気の高いガーデンのひとつである、ヒドコート・マナー・ガーデン。裕福なアメリカ人、ローレンス・ジョンストンが1代で築き上げ、現在ではナショナル・トラストが管理するこの庭の歴史と魅力をレポートします!

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姿を変えたヒドコート・マナー・ガーデン

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ヒドコート・マナー・ガーデンを受け継いだのちの1955年に、ナショナル・トラストの優秀なプランツマンであり、またガーデン・アドバイザーであったグラハム・スチュアート・トーマスが庭の監督に任命されます。

彼はヒドコート・マナーの庭園が非常にレベルの高い園芸技術を用いており、また植栽については当時最高とも言える水準であったことを記しています。

しかし前にも述べたように、ローレンス・ジョンストンはヒドコート・マナーを売り渡した際に、その庭園についての記録はほとんど残されていませんでした。

つまりグラハム・スチュアート・トーマスは、残されたヒドコート・マナー・ガーデンの状態から植栽、レイアウト、デザインすべてを理解し、その上で庭の監督をしなくてはいけない状況だったのです。

また、ローレンス・ジョンストンはヒドコート・マナーの庭園を維持していくために、フランク・アダムズを筆頭に多くのガーデナーや農場労働者を雇い入れていました。

しかしナショナル・トラストがその管理を引き継いだときは、庭師の数はわずか5人であり、庭の整備や手入れは、そのチームで対応できるよう植栽が単純化しなくてはならない状況でもありました。
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1955年から1980年までヒドコートの庭園の監督を任されていたグラハム・スチュアート・トーマスですが、彼の時代にはローレンス・ジョンストンが残した庭園はずいぶんとその様子は変わってしまいました。

グラハム・スチュアート・トーマスはその優れた才能によって、ガーデンを美しく蘇らせはしましたが、その際にあまりにも多く彼の主観が入ってしまったのではないかと言われています。

ジョンストンのたぐいまれなアイデアやコンセプトは、グラハム・スチュアート・トーマスがつくり上げた新しいヒドコート・マナー・ガーデンの中に埋もれてしまい、元の原型をあまり留めていなかったとも。


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グラハム・スチュアート・トーマスが意図的に自分らしさを出したガーデンにつくり変えたという声もあるようですが、先に述べたように庭についての記述もない、そしてケアする人間も足りない状況であったために、ヒドコート・マナー・ガーデンの変化は仕方のないことだったのかもしれません。

しかしこのような変貌を遂げたのちに、ナショナル・トラストはローレンス・ジョンストンが造り上げた最初のヒドコート・マナー・ガーデンのレイアウト、デザイン、植栽法に戻すことを決定づけます。

その当時の庭の様子を知る人々や、働いていたガーデナーたちが残したメモ、そしてその頃の庭の写真を頼りに大規模に庭を修復、改装し、できる限り元のヒドコート・マナー・ガーデンを再現するべく、ナショナル・トラストは現在でも努力を重ねています。

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ヒドコート・マナー・ガーデンは100年の歴史を持つガーデンではありますが、その中で持ち主のローレンス・ジョンストンが所有していた時期はわずか40年にすぎません。

現在ではナショナル・トラストの管理下での年月は60年を超え、ジョンストンがヒドコート・マナー・ガーデンにいた期間よりも長くなっています。

その間にガーデンはグラハム・スチュアート・トーマスの手によって変貌を遂げ、そしてまたローレンス・ジョンストンが造り上げた初期のガーデンに戻ると言う数奇な運命を遂げています。

今ではローレンス・ジョンストンが最初につくった庭園に戻り、その姿を今でも見ることができるヒドコート・マナー・ガーデン。次回は数々の『ROOM』に分かれるヒドコート・マナー・ガーデンの内部をご紹介します。
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi