2018年12月30日 更新

イングリッシュガーデンを巡る旅 ~ ポールスデン・レイシー Vol.1 ~

ロンドンからわずか30マイル弱の場所、ドーキングを南西に向かったエリアにあるポールスデン・レイシー。エドワード朝の豪奢な邸宅と広大な敷地に広がる庭園は、ナショナル・トラストが管理している中でもとても人気の高い場所です。今回は、ポールスデン・レイシーのレポートをお届けします!

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ポールスデン・レイシーとは

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英国内で数多くの庭園がナショナル・トラストの管理下にありますが、その中でもとても高い人気を誇るのが、このポールスデン・レイシーです。

サリー州ドーキングの近く、グレート・ブッカムにあるエドワード朝様式の邸宅と広大な敷地の人気の理由は、ロンドンから列車で1時間もかからないという好立地条件もあるのかもしれません。

この場所に訪れてまず驚くのは、その広大な敷地です。なんと1,400エーカー(約567万㎡、東京ドーム121個分)もあるこの敷地はどこが終わりなのか分からないほど広く、入り口から邸宅までもかなりの距離があります。

邸宅の前にも大きな敷地が広がり、どこまでも続くゆるやかなアップダウンを描いた、いかにもイギリスらしいカントリーサイドの美しい風景を楽しめます。

ポールスデン・レイシーの歴史

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ポールスデン・レイシーは1336年にこの場所に最初の家が建てられたことから始まります。
その後の持ち主として記録として残っているのが、アンソニー・ルースです。彼が1630年にこの土地を購入し、中世の家が1631年に再建されました。

のちの1723年、経済学者であり、政治家であったアーサー・ムーアがこの地を買い取り、1735年から1748年の間に家を拡張しています。このムーアの時代に、敷地を見下ろすロング・ウォークとテラスが建設されたと言われています。

劇作家であり政治家でもあったリチャード・ブリンズリー・シェリダンが1804年にこの地の新たなオーナーとなりました。

1818年にはジョセフ・ボンサーがこの土地を購入し、その時代の優れた建築家であったトーマス・キュービットの設計により邸宅を再建しています。ボンサーの時代にたくさんの木々が植栽され、庭園、土地が修復されています。
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1853年にボンサーからポールスデン・レイシーを購入したのはサー・ウォルター・ロッククリフ・ファークワーでした。

彼はトーマス・キュービットが造り上げた構造は大部分を残しつつ、1853年から1870年の間にかけて、家を拡張しています。

そして1902年にポールスデン・レイシーは、ビジネスマン、公務員であったサー・クリントン・エドワード・ドーキンズの手に渡ります。

彼は建築家のサー・アンブローズ・マクドナルド・ポインターに建物の修復を依頼しており、その姿は現在でも確認することができます。

しかしドーキンズは完成直後に亡くなり、そして1906年、ロナルド&マーガレット・グレヴィル夫妻がポールスデン・レイシーの最後の持ち主となったのでした。

最後の女主人、マギー(マーガレット)・グレヴィル

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このように、ポールスデン・レイシーは何度も持ち主が変わり、100年を超す期間同じオーナーが所持していたことはありませんでした。

また持ち主が変わるたびに屋敷や敷地は修復、改装が施されています。そんな歴史を持つこの邸宅と敷地の最後の女主人となったのは、エドワード朝の上流社会でその名を馳せたマギー(マーガレット)・グレヴィルです。

マギー・グレヴィルの出生は謎が多く、ある種の秘密のヴェールに包まれていました。1863年12月10日に生まれたマギーの母親はヘレン・アンダーソン、そして実の父親はウィリアム・マキューアン。

しかし実際の彼女の出生証明書では、父親の名前はウィリアム・マレー・アンダーソンとなっていたのでした。
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彼女の実の父親であるウィリアム・マキューアンは、スコットランドはエディンバラでビール蒸留所のビジネスで大成功した、大金持ちの男性でした。

しかしヘレンがマギーを宿した時、二人は結婚しておらず、マギーは非嫡出子であったと言われています。

母ヘレンの評判、そしてマギーの出生の正当性を得るために、ヘレンはウィリアム・マキューアンの蒸留所で働いていた従業員、ウィリアム・マレー・アンダーソンと結婚することになったのでした。
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父親であるマキューアンは、ヘレンとウィリアム・マレー・アンダーソンの二人をロンドンに送り、ヘレンはそこでマギーを出産します。

マギーが産まれたのちの1864年の春、戸籍上では夫婦となった二人はマギーを連れ、エディンバラへと帰ります。マギーの父、ウィリアム・マキューアンとヘレン・アンダーソンは、ウィリアム・マレー・アンダーソンが亡くなった1885年、マギーが21歳のときにようやく正式に夫婦となることができました。
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi