2018年12月30日 更新

イングリッシュガーデンを巡る旅 ~ ポールスデン・レイシー Vol.1 ~

ロンドンからわずか30マイル弱の場所、ドーキングを南西に向かったエリアにあるポールスデン・レイシー。エドワード朝の豪奢な邸宅と広大な敷地に広がる庭園は、ナショナル・トラストが管理している中でもとても人気の高い場所です。今回は、ポールスデン・レイシーのレポートをお届けします!

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マギーの実父については常に憶測がついて回っており、ウィリアム・マキューアンは彼女の継父として見られていました。

しかし想像するに、マギーはやはりウィリアム・マキューアンの実の娘であったのだろうと思われます。マキューアンがマギーを愛し、大切にしていたのは間違いのない事実と言えるでしょう。

こののちご紹介する、彼がマギーのために莫大なお金を費やしてきたこと、そして巨額の遺産を遺したことからで、それは容易に想像できるのではないかと思うのです。

ポールスデン・レイシーの購入へ

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マギーは1891年、政治家であり、第2男爵の位を持つロナルド(ロニー)・ヘンリー・フルーク・グレヴィルと結婚します。ロニーは28歳、マギーは29歳の時でした。

こうしてマギーは父の莫大な財産をバックグラウンドに、そして夫の名誉ある地位を得て、ロンドンの社交界でその名を知られるようになったのです。

マギーの野望は、イギリス王室の人々を含む、イギリス上流社会で行われる最も豪奢なパーティーを開き、そしてその女主人になることでした。

夫婦はそれまでロンドンのメイフェアで暮らしていましたが、マギーの父、ウィリアム・マキューアンが二人のためにポールスデン・レイシーを購入してくれたのは、1906年のことでした。
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ロニー・グレヴィルとマギーがポールスデン・レイシーの持ち主となってから、彼らはそれまでのオーナーと同じように邸宅と庭の改築に取りかかります。

リッツ・ホテルの建築家として知られるチャールズ・ミューズとアーサー・ディヴィスを雇い、邸宅をさらに豪華で優雅なものに改装し、また当時の優れた著名なインテリア会社であったWhite,Allom & Co.に依頼し、内装もそれに似合うよう一新させています。

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庭園はマギーのパーティーに訪れる外国の大使や高官を感心させるために、クラシカルなイングリッシュガーデンが設計されました。

そしてこの時代のファッショナブルな娯楽であったゴルフを好んでいたマギーの希望によって、9ホールのゴルフ場、そしてテニスコートも建設されています。

夫、そして父の死

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しかしこの邸宅と敷地の完成を待たずに、ロニー・グレヴィルは1908年に亡くなり、またマギーの父親であるウィリアム・マキューアンは1913年に亡くなります。

ウィリアム・マキューアンが遺した当時の金額で6500万ポンド、約91億円(!!)という莫大な遺産を引き継ぎ、マギーは億万長者の未亡人としてポールスデン・レイシーの女主人の道を歩んでいくことになるのでした。

英国上流社会の女主人へ

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夫と父の死後、マギーはロンドンの邸宅とポールスデン・レイシーを行き来し、両方の家で豪華なパーティーを開き、そして海外旅行を楽しみました。

ポールスデン・レイシーがまだ修復が完了していないころの最初の賓客であったのはエドワード7世です。
また、映画『英国王のスピーチ』でも描かれたのちのジョージ6世、当時はヨーク公アルバート王子が1923年に結婚した際、妻のヨーク公妃殿下エリザベスと新婚旅行でこのポールスデン・レイシーに滞在しています。

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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi