2018年11月1日 更新

イングリッシュガーデンを巡る旅 ~ キフツゲート・コート・ガーデンズ Vol.1 ~

エレガントで優雅な邸宅、周りを取り囲むロマンティックな庭園、そしてドラマティックな地形を活かしたレイアウト。キフツゲート・コート・ガーデンズは、多くのガーデン・ファンが憧れる、英国の中でも最も著名なイングリッシュガーデンのひとつです。今回はキフツゲート・コート・ガーデンズの魅力についてレポートします!

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キフツゲート・コート・ガーデンズの始まり

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キフツゲート・コートの美しい庭園は、ジョン・ブキャナン・ミューアが狩猟をする土地として1918年に、ふたつのポーティコを持つエレガントな邸宅、キフツゲート・コートとその敷地を買い取ったことからその物語がスタートします。

ジョン・ブキャナン・ミューアの妻であるヘザー・ミューアは、当時ガーデニングの知識はまったくなかったにも関わらず、この敷地に庭を造ることを決意します。

経験のないヘザー・ミューアがなぜ庭づくりに着手したかというと、隣に立地するヒドコート・マナー・ガーデンの創造主、ローレンス・ジョンストンの影響が大きかったと言われています。
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ミューア夫妻がキフツゲート・コートを購入した11年前の1907年に、母とともにヒドコート・マナーを購入したジョンストンは、隣に移り住んできたヘザー・ミューアと非常に仲の良い友人となりました。

ヒドコート・マナー・ガーデンにあるプールガーデンは、当初は実際に泳げるようになっており、ここでミューア夫妻の娘たちが泳いでいる写真が残っています。このことからも、人見知りが激しいジョンストンがミューア家ととても良い関係を築いていたことが分かります。

ヘザー・ミューアが徐々に完成していくヒドコート・マナーの美しい庭を眺めたり、またガーデニングを愛し、才能豊かであったジョンストンからのアドバイスを受けたことが、キフツゲート・コート・ガーデンズの発展に大きく関係しているのでしょう。

1代目、ヘザー・ミューア

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もともとキフツゲート・コートには庭と呼べるのは、ポーティコの前にあるフォーマルガーデンだけでした。ヘザー・ミューアはほとんどゼロとも言える状態だった敷地内に、1920年から庭づくりを始めています。

彼女はローレンス・ジョンストンが造り上げたヒドコート・マナー・ガーデンからたくさんの影響を受けたと言われていますが、彼と同じようなガーデンを造ろうとは思っていなかったそう。

このことからたとえ多大に影響を与えてくれた人物の庭がすぐ近くにあっても、そう簡単には人の模倣をすることはない、彼女の強い意志が伺えるような気がします。

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ヘザー・ミューアはレイアウトを机上でデザインするというよりも、キフツゲート・コートの敷地に似合った小さなエリアに区切り、自分の目で確認しながら庭園づくりを進めていったそうです。

このふたつのガーデンを比べる人々からは、ローレンス・ジョンストンが造り上げたヒドコート・マナー・ガーデンのレイアウト、そして植栽は男性的だと言われています。

一方、キフツゲート・コート・ガーデンズの植栽はカラーがテーマとなっています。そのせいでしょうか、庭園の雰囲気はとても女性的と言われることが多いようです。

しかしふたつのガーデンの印象の違いは、作り手の性別というだけではなく、ふたりの創造主の強い個性の表れかもしれません。

ダイナミックな土地の形状を活かして

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のちに時代の移り変わりによって幾多の変更は生じたものの、現在のキフツゲート・コート・ガーデンズの基礎はヘザー・ミューアの優れたセンスと類まれなる努力によって、彼女の時代にほとんどが完成しています。
キフツゲート・コートの敷地は一面ががくっと谷底に落ちるような形状をしており、この庭園の中でも最もダイナミックなシーンとも言える場所があります。

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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi