2017年8月13日 更新

イングリッシュ・ガーデンを巡る旅~パシュリー・マナー・ガーデンを訪ねて~

ケント州とサセックス州のボーダーにある、パシュリー・マナー・ガーデン。まだあまり日本では有名ではないかもしれませんが、庭の他にも由緒ある邸宅や、敷地内に点在する彫刻など、見どころいっぱいの素敵なガーデンです。このマナーハウスの歴史、そしてガーデンのレポートをお届けします!

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イギリスの南東部に位置するイースト・サセックス。ヘイスティングスやライ、イーストボーンなどの街が有名ですが、このイースト・サセックスにあるタイスハーストには、パシュリー・マナー・ガーデンという素敵なガーデンがあるのをご存知でしょうか。

ガーデンの最寄り駅までは、ロンドンから列車でおよそ約1時間10分ほど。ロンドンを中心として観光する際にも、気軽に行く事の出来る距離にあります。
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パシュリー・マナー・ガーデンは、4月後半から5月初旬にかけて、毎年チューリップ・フェスティバルという、およそ30,000本ものチューリップが美しく咲き乱れる姿を楽しめる、チューリップの祭典を行っていることで有名です。

残念ながら滞在した日は、チューリップも終わり(ちょうどガーデナーさんたちが花が咲き終わったチューリップのケアをしている時でした)、またその他の花の季節にはまだ早い、というちょっぴり中途半端なシーズンになってしまいました。

それでも天候はイギリスにしては素晴らしいもので、広い敷地内を散策しながら、庭園を堪能する事が出来ました!
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パシュリー・マナー・ガーデンは1981年にオーナーとなった、ジェームズ&アンジェラ・セリック夫妻が1992年から一般公開しているガーデンです。(ガーデンのみオープンとなり、邸宅内は一般公開はされていません)

庭園はハーブ・ボーダーやホット・ガーデン、キッチンガーデンやウォールガーデン、プールガーデンなどのエリアに分かれ、また11エーカーを誇る広大な敷地内に大小さまざまな池があり、全てを歩いてみるにはそれなりの時間が必要かもしれません。

パシュリー・マナーハウスとガーデンの歴史

パシュリー・マナーハウスの歴史は古く、1292年、サー・エドモンド・ド・パーセル氏が、堀のある屋敷を建てたのが始まりです。

史実上ではその後、この家族に苗字に変化が見られたのか、パーセル、もしくはパシュリーとその名が残る一族が1454年までこの邸宅を維持していたそうです。

その年に、最初の持ち主からパシュリーと名付けられたこのマナーハウスは、ノーフォーク出身であり、1457年にはロンドン市長にまで出世した、サー・ジェフリー・ブーリンを始めとするブーリン一家の手に渡ります。
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ブーリン家で歴史上、最も有名な人物と言えば、サー・ジェフリー・ブーリンの曾孫であり、のちにイングランド王ヘンリー8世の2番目の妻となり、その後反逆罪で処刑されたアン・ブーリンに違いありません。

彼女の事は2008年に公開され、ナタリー・ポートマンがアン・ブーリンを、そしてアンの妹のメアリー・ブーリンをスカーレット・ヨハンソンが演じた事でも知られる映画、『ブーリン家の姉妹』をご覧になって、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
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アン・ブーリンもこの屋敷で幼少時の幾らかの時間を過ごしたとも言われていますが、この史実は明確にはなっていないようです。

しかしパシュリー・マナーハウスとブーリン家の繋がりを示す、フィリップ・ジャクソンによるアン・ブーリンの彫刻は、庭園の池にある敷地で見る事が出来ます。

ブーリン家はこのパシュリー・マナーハウスを、一族が狩りをする際に使用していたと言われており、アンの曾祖父であるサー・ジェフリー・ブーリンは、1525年、息子であるサー・ウィリアム・ブーリンに譲り渡しています。

1536年、アン・ブーリンが反逆罪で処刑されると、ブーリン一家はパシュリー・マナーハウスや庭を含む敷地全体を売りに出す必要性に迫られます。
1539年、サー・ウィリアム・ブーリンの息子であり、またアンとメアリー・ブーリンの父親であるトマス・ブーリンによって売りに出され、1540年、サー・トーマス・メイによって購入されました。

邸宅とガーデンを含む敷地はなんと、東京ドーム52個分(!!)という大きさの約600エーカーもあったそうで、当時の値段である360ポンドで売却されています。
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メイ家は成功した一族であったようで、パシュリー・マナーハウスを400年に渡り維持しています。その間、チューダー様式を誇る邸宅の正面を再建し、また増築も行っています。

メイ家の名を継ぐ男子がすべて亡くなった1795年、パシュリー・マナーハウスは牧師であるリチャード・ウェザレルと結婚した、娘のキャロラインに譲られます。

彼らの息子、ネイサンには二人の娘がいましたが、いずれも亡くなった後は、甥であるドクター・ホリスト氏が邸宅を相続していますが、維持する事が出来なくなったのでしょうか、1922年、彼はパシュリー・マナーハウスを売りに出しています。
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi