2017年8月27日 更新

イングリッシュ・ガーデンを巡る旅~スコットニ―・カースルを訪ねて~

英国にはたくさんのガーデンが存在しますが、滞在した時にはもちろんガーデンを見るのも楽しみだけど、忘れてはならないのが邸宅の存在。時代や地域によって異なる、個性を持ったお城や住居が多くあり、ガーデンとの素敵なコンビネーションを描いています。今回は最もロマンティックな庭園とお城と呼ばれるスコットニー・カースルについてレポートします!

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スコットニー・カースルの歴史

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この美しい廃墟、今は『オールド・カースル』と呼ばれているこのスコットニー邸は、12世紀にその歴史をスタートさせました。

最初にロジャー・アッシュバーナムという人物が、この城を1378~80年に、フランスからの侵略に備え、要塞のようなマナーハウスを建てたのが始まりです。

このスコットニー邸は近くにあるボディアム・カースルと同じスタイルで、邸宅の各コーナーに円形状の塔があるのが特徴です。

現在では写真で見える、アッシュバーナム・タワーと呼ばれるただひとつの塔だけが現存しています。
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その後、スコットニー邸は350年間もの間、カソリック教会のダレル一家が保持していました。
ダレル一家は1598年にイエズス会の神父、リチャード・ブラウントをこのスコットニー邸に匿ったとしても知られています。

1630年代には、その時の持ち主であったウィリアム・ダレルが邸宅の大部分を取り壊して改築、新しい3階層の石造建築を建てていますが、現在では残った壁と南練だけを見る事が出来ます。
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さらに1720年代、その時代の持ち主であるジョージ・ダレルが再度改築を行い、現存しているアッシュバーナム・タワーに丸い屋根の頂塔と、タイル張りの円錐の屋根を取り付けています。

350年という長い年月に渡ってスコットニー邸を維持してきたダレル一家ですが、18世紀の半ばにダレル一族は口論が訴訟に発展してしまう事件を起こしています。

この長引いた訴訟によってダレル一家の財力は失われ、彼らはスコットニー邸を売りに出す必要性に迫られたそうです。
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ダレル一家がスコットニー邸を手放し、1778年、エドワード・ハッセー1世がこのスコットニー邸を購入し、1783年から、1792年にかけて修復をしています。

彼はスコットニー邸について、「城の大部分は修復された現在では、周囲は魚たちが泳ぐ、水の流れる広い堀に囲まれている。堀の中に島があり、そこへ渡るために、中国製の橋が架けられている。

1階は正面と裏側にキッチンその他があり、使用人の部屋や客間がある。2階には2つの客間、大きなダイニングルーム、ブレックファストルームと2つの化粧室、5つの寝室、スタディルームと図書室があり、3階には8つ部屋がある。」と書き残しています。

今の廃墟から想像するのはなかなか難しいですが、この文献から、スコットニー邸がかなり大きな邸宅だったのが分かります。
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このスコットニー邸を購入したエドワード・ハッセー1世は1816年、彼はこのオールド・カースルで自ら死を選ぶという悲劇的な結末を迎え、さらにその1年後である1817年、息子であるエドワード・ハッセー2世も37歳でこの世を去っています。

エドワード・ハッセー2世の未亡人であるアンは、この続けて起きた辛い出来事を振り払うかの如くスコットニー邸を去り、イースト・サセックスにある、ヘイスティングスの傍に位置するセント・レオナルズへと移り、そこで息子のエドワード・ハッセー3世を育てます。

幼い頃にスコットニー邸で暮らしており、また8歳で父親と死に別れたエドワード・ハッセー3世は、幼い頃から建築やガーデニング、ランドスケープに強い興味を抱いており、1835年に彼はスコットニー邸に戻る事を決意し、新しい住居である『ニュー・ハウス』を建てる事になるのです。
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エドワード・ハッセー3世は、『ニュー・ハウス』の建築家としてアンソニー・スレイヴィンを選びます。
この時代の英国では、イギリスの活気ある時代としてエリザベス1世が統治していた頃を懐かしみ、エリザベス朝のスタイルが人気を誇っており、このアンソニー・スレイヴィンは若くして既に、この復興スタイルで評判を得ていたのです。
エドワード・ハッセー3世は、自分の建てたい建造物のヴィジョンをしっかりと理解しており、建築家とのミーティングは33回にも及んだとか。
建設工事は1837年に始まり、1843年に完成しています。
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi