2017年8月27日 更新

イングリッシュ・ガーデンを巡る旅~スコットニ―・カースルを訪ねて~

英国にはたくさんのガーデンが存在しますが、滞在した時にはもちろんガーデンを見るのも楽しみだけど、忘れてはならないのが邸宅の存在。時代や地域によって異なる、個性を持ったお城や住居が多くあり、ガーデンとの素敵なコンビネーションを描いています。今回は最もロマンティックな庭園とお城と呼ばれるスコットニー・カースルについてレポートします!

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絵画のように美しい、『ピクチャレスク』な庭園造り

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スコットニー・カースルを訪れた際に感じたのは、浅はかにも「ここはお城が有名で、ガーデンとしてはそれほど知られていないのではないかな」という事でした。

と言うのもスコットニー・カースルの庭園は、他のイングリッシュガーデンとは違い、庭園のあちこちに咲き誇るシャクナゲやアイリス、その他の様々な花を楽しむ事は出来るものの、花壇やボーダーなどが、一か所に集められているわけではなかったからでした。

しかしエドワード・ハッセー3世がそのような庭園のスタイルにしたのは理由がありました。

彼は旅行や絵画を描く事を好み、また庭造りに関しては、同時代に流行となったピクチャレスクについて書かれた、ユーヴドール・プライス(1747年~1829年)や、リチャード・ペイン・ナイト(1750年~1824年)から影響を受けていたと言われています。

また、芸術家であり作家でもあるウィリアム・ギルピン(1724年~1804年)の甥である、ランドスケープ・ガーデナーであるウィリアム・ソーレイ・ギルピン(1761年~1843年)にアドバイスを求めています。

しかしこうした影響を受けつつも、エドワード・ハッセー3世は、自身の水彩画家としての才能を遺憾なく発揮し、自分自身のピクチャレスクのヴィジョンを使い、この庭園を作り上げたのです。
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ピクチャレスクとは、そのまま訳すと「絵画的な」あるいは「絵のような」となるのですが、これはこの時代の庭園や建築、芸術にも影響を与えた概念になります。

ウィリアム・ギルピンが発表したこの概念は、それまでのイギリスで大きな流行となっていた、風景式庭園を批判するものでした。

イギリスの風景式庭園とは、ランスロット・”ケイパビリティ”・ブラウン(1716年~1783年)を代表とする、ガーデンとその周囲の自然をひとつにし、庭園が自然そのものに見えるように造り上げたものでした。

ケイパビリティ・ブラウンがデザインした庭園は、広い敷地に流れる緩やかな傾斜を持った芝地が特徴ですが、ウィリアム・ギルピンやユーヴドール・プライスらは、これらの景色は整いすぎており平凡で単調、そして「ピクチャレスク」-絵画的ではない、と批判したのです。

彼らは絵画のように美しい—『ピクチャレスク』な庭園と言うものには、そこにドラマティックな景観と、粗さや鋭さが必要であると説いています。
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1835年にスコットニー・カースルに戻って来たエドワード・ハッセー3世は、オールド・カースルをすべて取り壊すという案も出ていましたがこれを却下しています。

彼はこの歴史あるロマンティックな城を、新たな庭園の中でセンターピースともなる、最も重要なものとして残す事にしたのです。

この際に今もその姿を残す、1905年まではヘッドガーデナーや土地管理人が住んでいたという南練と、アッシュバーナム・タワー以外の建物は取り壊されています。

広大な土地に広がる芝生や樹木、そしてあちこちに咲き乱れる花々、そして古びた廃墟の城とその周囲を巡る堀…。

すべてのものが見事に溶け合い、スコットニー・カースルの庭園は他に例を見ない、「ピクチャレスク」、まさに絵画的な庭園として生まれ変わったのです。
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スコットニー・カースルの『ニュー・ハウス』を建てたエドワード・ハッセー3世は1894年にこの世を去り、この邸宅と庭園を息子であるエドワード・ウィンザー・ハッセーに譲ります。

そして1952年、エドワード・ウィンザー・ハッセーの甥であり、エドワード・ハッセー3世の孫となる、クリストファー・ハッセーがスコットニー・カースルを相続します。

彼は未来の妻となるエリザベス・カー・スマイリー、通称ベティに、このスコットニー・ガーデンでプロポーズしたのだとか。うーん、ロマンティックなお話です!

クリストファー・ハッセーは学生の頃から『カントリーライフ』誌に記事を執筆しており、編集者としても活躍します。

また、イギリスの歴史あるカントリーハウスが社会的、経済的にもその存続を脅かされていると感じた最初の一人とも言われ、これらの建築物は将来も保存するに値するものだと書き記しています。
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クリストファー・ハッセーとベティは、幅広い交友関係を持ち、中にはかつてのイギリスの首相、マーガレット・サッチャーとその夫、デニス・サッチャーも含まれています。

また、アメリカ人のガーデンデザイナーであるラニング・ローパーと友人となり、彼は度々スコットニー・カースルに訪れ、1970年に、クリストファー・ハッセーの伯母のものであったベニス風の丸い井戸の上部を中心として、上記の写真にあるように、周囲にハーブガーデンを作り直し始めます。

また、堀の周りには水を好む植物を植え、滅びていた東の練はハニーサックルや蔓バラなど、蔓性の植物を植えたそうで、これらの花々もまた、散策をしながら楽しむ事が出来ます。
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クリストファー・ハッセーはスコットニー・カースルが今後もその存在を変える事なく維持していく事を希望しており、彼が亡くなった1970年に庭園をナショナル・トラストに寄贈していています。
また、彼らの住居であったニュー・ハウス内の一部は、ナショナルトラストによってフラットとして貸し出されました。

1970年から80年代にかけては、彼らの友人であったサッチャー夫妻が借りており、休暇の際にここを使っていたようです。
2006年にクリストファー・ハッセーの妻であるベティが亡くなると、ニュー・ハウスもナショナルトラストに寄贈され、現在では建物内部も一般公開されており、この内部も見学してとても楽しめるものです。

歴史あるロマンティックな廃墟のオールド・カースル、そして『ピクチャレスク』な庭園、ニュー・ハウス内部のハッセ―家の暮らし。

ロンドンからの日帰りも楽に出来、一度にたくさんのシーンを楽しめるスコットニー・カースルへぜひ訪れてみませんか?
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi