2017年7月24日 更新

イングリッシュ・ガーデンを巡る旅~シシングハースト・カースル・ガーデンを訪ねて~ Vol.1

世界中からガーデニングファンが訪れる、シシングハースト・カースル・ガーデン。ガーデニングに多大な影響を与え、またイギリスで最も愛されている庭とも言われています。ヴィタとハロルドが30年の年月をかけて造り上げたガーデンの歴史、その魅力をレポートします!

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創造主・ヴィタ・サックヴィル=ウェストとハロルド・ニコルソン

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世界中から訪れる人が絶える事の無いシシングハースト・カースル・ガーデン。そこまで多くの人々を惹き付ける魅力とはいったいどのようなものなのでしょうか。

ガーデンの美しさもさることながら、ガーデンを造り上げたヴィタ・サックヴィル=ウェストと、ハロルド・ニコルソンの二人の洗練され、卓越した創造力と、あふれんばかりの力強い情熱をなくしてはその魅力は語れません。

ヴィタ・サックヴィル=ウェストは1892年、シシングハーストからは20マイル(約32キロ)ほどの場所にあるセブンオークスからほど近い、イギリスでも最も大きい館のひとつであるノール・ハウスで、サックヴィル家の一人娘として生まれています。
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ヴィタはノール・ハウスをこよなく愛し、また子ども時代は友達を家来に見立て、男の子のように遊んでいました。

また、彼女の初恋は10代の頃、同じ年の知的な美しい少女、ロザムンド・グロブナーで、ただし二人はセクシュアルな関係ではなく、ロマンティックな感情を抱き合う友達同士だったそうです。

ヴィタは21歳の時に、当時26歳であった外交官であるハロルド・ニコルソンと結婚しますが、その時までをノール・ハウスで過ごし、結婚後もハロルドが仕事で不在の際には、度々この屋敷に戻っています。
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ヴィタとハロルドはロンドンのイートンスクエア近辺に家を持っていましたが、田舎にも住居を求め、ノール・ハウスからほど近いロング・バーンという14世紀に建てられたコテッジを1915年に購入しています。

彼らの結婚はオープン・マリッジであり、結婚後も自由に他の人を愛する権利を持ち続ける、というものでした。二人は共にバイ・セクシュアルであったと言われ、またお互いにそれを容認していたと言います。

ヴィタの恋愛で有名なものは、知的で美しく、また作家であった女性、ヴァイオレット・トレフューシスとの関係で、二人はフランスへと駆け落ちする事件も起こしています。

また作家であるヴァージニア・ウルフとの恋愛では、ウルフは『オーランドー』という、ヴィタへのラブレターのような小説を残しています。
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ヴィタは自分が生まれ過ごしたノール・ハウスに対し並々ならぬ愛情を抱いていましたが、当時イギリスでは男性でなくては相続権はなく、ノール・ハウスは叔父のチャーリーに譲られます。

この事はヴィタを非常に傷つけ、また彼らの田舎の住居であったロング・バーンがノール・ハウスから近い事も彼女を苦しめたそうです。

シシングハーストを購入する前に、ヴィタがその歴史について調べると、ヴィタの家系との繋がりが発見されます。
かつての持ち主であったリチャード・ベイカー卿の妹は、ヴィタの祖先であるトーマス・サックヴィルと結婚していたのです。

あれほど愛していたノール・ハウスを手に入れられなかった欠乏感が、彼女のシシングハースト・カースル・ガーデンへの情熱へと変わったとしても不思議ではないと言えるでしょう。

シシングハーストにおけるガーデンの魅力

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シシングハースト・カースル・ガーデンはガーデンが細かく分かれ、それぞれが様々な要素を持ち、またその色彩やテーマも異なる事で知られています。

ヴィタとハロルドは、シシングハーストを購入する前に維持していたロング・バーンで既に10~15年ほど庭造りを行っていたので、植物に関する知識や経験もありました。
庭園の設計はハロルドが行い、植栽はヴィタが担当しましたが、ヴィタの植栽の信条は『詰め込む、詰め込む、詰め込む ― 全ての隙間に、狭間に』というもので、これは現在のシシングハーストを見ても納得出来るものです。
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こちらの写真は、まだ花は大きくなる途中ではありますが、ヴィタの書き残した信条に沿うかのように、植物は隙間に詰め込まれ、植えられているのが分かります。
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi