グラスハウスはウォールド・ガーデンのフォーカルポイントとも言えるもので、今でも温室としても使われており、滞在した日にはリリーが室内で育てられていました。
アボッツフォード・ハウスのガーデンのレイアウトはとてもシンプルなものですが、その素朴さがこのガーデンで咲くナチュラルな植物を生き生きとさせています。
ウォールド・ガーデンの中央にはグラスハウスに向かって小道が造られ、左右には鮮やかな花たちが。
とてもバランスの良いレイアウトとなっており、様々な高さや色合いを持つ花が美しく見えるように植えられていました。
ウォールド・ガーデンの中央にはグラスハウスに向かって小道が造られ、左右には鮮やかな花たちが。
とてもバランスの良いレイアウトとなっており、様々な高さや色合いを持つ花が美しく見えるように植えられていました。
こちらのウォールド・ガーデンでは、他の多くのガーデンで見られるメドウが、ガーデンの中央寄りにあったのも印象的でした。
このメドウがガーデン内にあるせいか、アボッツフォード・ハウスのウォールド・ガーデンは整えられたフォーマルな装飾的なガーデン、と言うよりも、ナチュラルさを感じさせる素朴な雰囲気にあふれています。
このメドウがガーデン内にあるせいか、アボッツフォード・ハウスのウォールド・ガーデンは整えられたフォーマルな装飾的なガーデン、と言うよりも、ナチュラルさを感じさせる素朴な雰囲気にあふれています。
また、ガーデン内のアーチや支柱、オベリスクなども木で作られたものを使用したりと、ガーデンのイメージは華やかさよりも飾り気のない、自然と一体化しているという印象を受けました。
もちろん個人の庭としては非常に大きなものですが、自宅の庭造りのヒントになりそうな個所もたくさん感じられるガーデンです。
もちろん個人の庭としては非常に大きなものですが、自宅の庭造りのヒントになりそうな個所もたくさん感じられるガーデンです。
誇り高きスコットランド人、ウォルター・スコットの晩年
ウォルター・スコットがボーダーズに移り住んだのちの1825年、英国全体に銀行危機が発生し、彼が共同出費し、友人のジェームズ・バランタインが経営していた印刷業が経営不振となり、ウォルター・スコットは莫大な借金を負う事になります。
その金額はなんと130,000ポンド、現在の金額にして約960万ポンド=約14億円相当にも上ってしまったのでした。
その金額はなんと130,000ポンド、現在の金額にして約960万ポンド=約14億円相当にも上ってしまったのでした。
しかしウォルター・スコットは破産を宣告する事もなく、また、ジョージ4世をも含む彼の多くの支持者からの財政的な援助を受け取る事もなく、彼は自身の家と収入を元にこの借金を返していきます。
ウォルター・スコットは1831年までにナポレオンの伝記を製作しただけでなく、小説の分野においても、驚異的な勢いで執筆を続けました。
ウォルター・スコットは1831年までにナポレオンの伝記を製作しただけでなく、小説の分野においても、驚異的な勢いで執筆を続けました。
このため彼は健康を害してしまうのですが、この時代の作家としては珍しく、存命中に国外でも非常に人気のあったウォルター・スコットは、ヨーロッパツアーに出かけ、どの国でも非常に歓待されます。
しかしこの旅行中に病気を悪化させたウォルター・スコットは、最後にアボッツフォード・ハウスからの景色を眺めたいと望みます。
スコットランドに帰国したウォルター・スコットは1832年、アボッツフォード・ハウスで息を引き取りました。
しかしこの旅行中に病気を悪化させたウォルター・スコットは、最後にアボッツフォード・ハウスからの景色を眺めたいと望みます。
スコットランドに帰国したウォルター・スコットは1832年、アボッツフォード・ハウスで息を引き取りました。