2018年11月30日 更新

イングリッシュガーデンを巡る旅 ~ ベイトマンズ・ガーデン Vol.1 ~

英国を代表する作家、詩人であるラドヤード・キップリング。世界を旅し、住み歩いてきた彼が、1902年より亡くなるまでの34年間を過ごした終の棲家がベイトマンズです。 広大な敷地に佇む邸宅と、それを取り囲む庭園。今回は文豪キップリングが愛したベイトマンズとそのガーデンのレポートをお届けします。

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息子、ジョンの死

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彼の死を決定付ける証拠もなく、キップリングはフランスまでジョンを探しに出かけますが、その消息はずっと掴めぬままでした。

のちの1992年にジョンであろう遺体が発見される事になるのですが、当時のキップリングはもちろんそれを知ることはありませんでした。しかし息子はもう戻って来ないと実感した彼の絶望、悲しみは深く、キップリングはジョンの死から決して立ち直ることはありませんでした。

ジョンの死についてのキップリングの苦しみ、喪失感は、彼が残した1916年の作品『マイ・ボーイ・ジャック』に表れていると言われています。

キップリングの晩年

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キップリングはベイトマンズに訪れる少数の友人たちをもてなしましたが、ジョンの死がもたらしたベイトマンズの雰囲気は以前とは異なり、陰鬱なものとなっていました。

たった一人、成長することができたキップリングの次女であるエルシーは父をとても愛し尊敬していましたが、『私は決して姉や弟の代わりにはなれないと知っていました』と切実な思いを吐露しています。

その後エルシーはジョージ・バンブリッジと結婚し、家を出ます。多くの使用人はいたけれど、家族は妻のキャロラインだけの生活になったキップリングは、その後も執筆を続けますが、1930年代になると彼は患っていた十二指腸潰瘍と糖尿病に苦しみ、1936年1月18日にこの世を去ります。

彼の希望であった『ラドヤード・キップリングとして生き、そして死にたい』といったとおり、彼の遺灰はウェストミンスター寺院の詩人のコーナーに、シンプルに『RUDYARD KIPLING』と刻まれた銘板の下に葬られています。

ナショナル・トラストの管理下へ

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妻のキャロラインは3年後の1939年に亡くなり、彼女の遺志を継いで次女のエルシーはベイトマンズをナショナル・トラストに寄贈します。

そしていま現在も敷地と邸宅、そして庭園はナショナル・トラストの管理下に置かれ、ベイトマンズに訪れる来訪者は世界中から後を絶たず、彼の残した暮らしぶりを見ることが出来ます。

キップリングはその作品や発言、行動によって人種差別主義者、蔑視思想との意見も出ていますが、その答えはそれぞれの人の判断に任せたいと思います。

しかしキップリングが優れた文筆家であり、人々の胸を打つ作品を作り続けてきたのは間違いのない事で、彼の書いた著名な詩のひとつ、『If-』はキップリングの死後60年も経った1995年のBBCの世論調査で、英国人のもっとも好きな詩に選ばれています。

ストイックさと力強さ、そして繊細さと優しさを兼ね備えるこのキップリングの詩を、機会があればぜひ一度、読んで頂ければと思います。
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イギリスが生んだ作家、詩人であるキップリングが愛したベイトマンズ・ガーデンには、キップリングの幼少時から、国を超え住まいを変えた、辛い出来事も多かった波乱に満ちた人生からは想像できないほど穏やかな風景が広がっています。

シンプルなレイアウトの中で繰り広げられる華やかで洗練された植栽、そして野趣あふれる風情に満ちた広大な敷地。次回はベイトマンズの庭園の魅力についてレポートをお届けします。
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi