2018年9月18日 更新

イングリッシュガーデンを巡る旅 ~ヒドコート・マナー・ガーデン Vol.1 ~

イングリッシュガーデンについて語るときに、決して欠かすことのできない存在であるヒドコート・マナー・ガーデン。今回はシシングハースト・カースル・ガーデンと並び、世界中のガーデナーの憧れであり、またイングリッシュガーデンの聖地とも言える場所のレポートをお届けします!

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ローレンス・ジョンストンの友人たち

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非常に裕福な男性であり、またその才能を遺憾なく発揮し優れたガーデンを造り上げたローレンス・ジョンストン。

彼はその時代のきらびやかな人々を友人関係を持っていたとも言われていますが、彼を知る誰もがローレンスはとてもシャイで、人見知りが激しく、決して友人の多い人間ではなかったことを明言しています。

長く軍隊にいたにも関わらず軍人との付き合いはなく、交友のあった人間はすべてガーデニングに興味を持つ人々ばかりでした。

彼は男性との付き合いよりも女性の友人と過ごす時間が多かったと言われ、アメリカ人の作家であるイーディス・ワートン、アメリカ人の女優であるメアリー・アンダーソン・デ・ナヴァロなどと友人になりました。

しかし彼と親しい友人として知られているのは裕福層のガーデンデザイナーであったノラ・リンジーです。

ノラと、そして植物採集に関心があった彼女の娘であるナンシー・リンジーとも、ローレンスは非常に親しい間柄となりました。
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ローレンスは男性との交友関係は少なく、親友と呼ばれる人もいなかったようで、さらにどちらかと言えばあまり良い関係を築くことはなかったとも言われています。

ともに中国へ植物採集へ行ったエディンバラ王立植物園で働いていた植物採集者のジョージ・フォレストは、同僚に送った手紙の中で『ジョンストンほど同行するのに不快な人間はいない』と書き記しています。

『彼は男とも言えず、独身貴族でもない。ただ男の性を受けただけの、甘やかされた、オールドミスのようなものだ』と。

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あまりにも辛辣な言葉ですが、彼は海外に植物採集に行く際も、イギリスでの豪奢な生活スタイルを保持したり、また彼の審美眼にかなわなければ海外に赴いたと言っても、見つけた植物を採集することはなかったそうで、そのスノッブさに辟易した人々も少なからずいたようです。

生涯独身であったローレンス・ジョンストンは多くの人々にゲイと思われており、またそれとは裏腹に彼が愛情を注いだノラ・リンジーの娘のナンシーは、実は彼の娘ではないのかと憶測されたこともあったそうです。

あまり人に打ち解けることのないローレンスの最も近しい存在だったのは、常に彼と一緒にいた犬たちだったと言われています。それを示すかのように、残されたローレンスの写真の多くには彼のそばに犬たちが一緒に写っています。

ローレンスは南フランスへ移住したあとに、訪れる人々のために開いたパーティーでは使用人に『退屈で馬鹿馬鹿しい人間たちとこれ以上話していたくない』と言い、頭痛がするので先に休むとゲストたちには言い残し、ガーデンで一人過ごすことも度々あったと言われています。
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ヒドコート・マナー・ガーデンをナショナル・トラストへ譲り渡し、南フランスへ移り住んだローレンスは1958年、セール・ド・ラ・マドンヌで亡くなります。

彼の遺体はイギリスに運ばれ、ヒドコートに眠る母親のガートルード・ウィンスロップの隣に埋葬されました。

ローレンスはセール・ド・ラ・マドンヌを親しい友人であったノラ・リンジーの娘、ナンシーに遺しますが、残念ながらナンシーは庭園を維持することができずに売り渡しています。

また、彼は亡くなった際に莫大な財産が残されましたが、その中の一部、当時のお金で100万フランを南フランスでの彼の使用人たちに渡すように手配しており、この事実から彼らとはとても良い付き合いがあったことが分かります。
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生涯独身であり、人付き合いを好まず、親しくなるのは限られた人間だけであったローレンス・ジョンストン。彼のすべての情熱はガーデニングに向けられていたかのようにも思えます。

イギリスで最も有名なガーデンのひとつを、一代で造り上げたリッチなアメリカ人。彼は残された記録や証言にあるように気難しく、スノッブな人間であったのかもしれません。

あるいはまた、世間に噂されていたように母の影響力から逃れられなかった子ども、甘やかされた裕福な人間だったのかもしれません。

けれどローレンス・ジョンストンが造り上げたガーデンは間違いなく後世に多大な影響を与え、100年以上の月日が経った今も、ガーデンを愛する多くの人々の心をとらえ続けています。

彼の気性や人格については他人がとやかく言うことではないのでしょう。ヒドコート・マナーの庭園を見れば、彼がどんなに才能にあふれ、そしてどんなに庭造りを愛していたのかが、ガーデナーの方であれば、ひと目で実感できるに違いありません。
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ローレンス・ジョンストンがヒドコート・マナーに移り住んだ1907年から、ナショナル・トラストの管理下になるまでの1948年の約40年間よりも、現在ではナショナル・トラストが管理している月日の方が長くなっています。

彼の造り上げたヒドコート・マナー・ガーデンはどのようなものであり、またどんな魅力に包まれているのでしょうか。そしてその庭を維持するナショナル・トラストの努力とは、どのようなものなのでしょうか。

次回はヒドコート・マナーの庭園についてレポートをお届けします。
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この記事を書いたひと

Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi