2018年8月20日 更新

スコットランドでガーデンを楽しもう!~フォークランド・パレス&ガーデン Vol.1~

人気海外ドラマ『アウトランダー』のロケ地として登場したこともあるスコットランドの小さな村、フォークランド。この村の中心にフォークランド・パレス&ガーデンは位置しています。今回は歴史ある宮殿とそのガーデン、そしてその周辺の魅力をレポートします!

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フォークランド・パレスの歴史

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フォークランドの村の中心地にあるフォークランド・パレスは、スコットランド、そしてイギリスの歴史でも重要な役目を持ち、かつ不思議な運命を辿った宮殿でもあります。

フォークランド・パレスの歴史は古く、宮殿が建てられる以前の12世紀に、この敷地内には狩猟用のロッジが建てられていました。このロッジは13世紀には拡張され、当時のファイフ州の伯爵であったマクダフ一族が所有する城となったのです。
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狩猟用ロッジから城へと変貌を遂げたフォークランド城ですが、この城は1300年代後半に英国侵略軍によって破壊されています。そののちにこのフォークランドの持ち主となったのが、オルバニー公ロバート・ステュワートです。

オルバニー公ロバートは、スコットランド王ロバート2世の次男であり、「冷酷」というあだ名を持った野心家でした。

オルバニー公ロバートは彼の甥であり、兄のスコットランド王ロバート3世の息子であるロスシー公ディヴィッドを1401年、このフォークランド・パレスに監禁します。

誰にもその存在を顧みらることもなく、翌年の1402年にディヴィッドは死亡し(餓死したと言われています)、オルバニー公ロバートによる殺害が疑われたものの、結局は自然死として扱われ、オルバニー公ロバートには何らお咎めもありませんでした。
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無罪となったものの、弟であるオルバニー公ロバートによって息子、デイヴィッドが暗殺されたと思っていたスコットランド王ロバート3世は、もう一人の息子であるジェームズを守るために彼をフランスへ送ることを決意します。

しかし息子ジェームズは船でフランスに渡ろうとするも、オルバニー公ロバートからの妨害により捕まってしまい、イングランド王のヘンリー4世の捕虜になってしまいます。

イングランドはスコットランドに多額の身代金を要求しますが、オルバニー公ロバートはそれを払おうとはせず、ジェームズは18年もの間イングランドで人質として暮らすことになりました。
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しかし運命に翻弄されたジェームズはのちに「ルネッサンス時代のプリンス」と呼ばれたスコットランド王ジェームズ1世として、再びスコットランドの地を踏むことになります。

冷酷非道、野心家として知られたオルバニー公ロバートが亡くなると、スコットランドはイングランドに身代金を支払い、ジェームズは自由の身となります。

そしてスコットランド王、ジェームズ1世として即位した1424年にオルバニー公ロバートの息子マードックとその息子たちを処刑、オルバニー公一族は失脚することになりました。
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ジェームズ1世の息子であるジェームズ2世は1451年、ファイフ州の伯爵領とフォークランド・パレスを与えられます。

ジェームズ2世は彼の妻であるオランダ出身のメアリー・オブ・グエルダースがここで快適に過ごせるよう、宮殿の改装に着手します。

フォークランド・パレスの庭園も同時期にスタートしたようで、1456年には庭園の言及、庭師への賃金の記録が残っているそうです。

1453年から1460年の間、ジェームズ2世と妃はフォークランド・パレスを王の住まいとして承認し、ジェームズ2世は宮殿のある、小さな田舎の村であったフォークランドにロイヤル・バラ(国王が認めた自治都市)を授けます。

フォークランド・パレスは彼らの住居であったエディンバラにあるホーリールードハウス宮殿とともに、スコットランド王となったステュワート家のお気に入りの宮殿となりました。

そして彼らの子孫がイングランドとアイルランド、スコットランドの王となり、スコットランドを出てイングランドに渡るまで使用されていたのです。
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フォークランド・パレスが美しく改装されたのは、ジェームズ4世とジェームズ5世の時代です。1501年から1541年という40年の年月をかけ、古い宮殿はフランスの香りを漂わせる華麗な王宮に変身しています。

ジェームズ5世は宮殿の敷地内にロイヤル・テニスコートを建てましたが、これは現在では世界最古のテニスコートとして、今でもその姿を見ることができます。上の写真はテニスコート内、そして下の写真はその試合を見ることができる座席になります。
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ジェームズ5世はフォークランド・パレスの改装に惜しみなくお金を費やし、エントランスにはふたつの大きな搭を追加しています。

また、スコットランドの美しい自然を堪能できるフォークランドでは、ステュアート家の人々は狩猟やアーチェリー、乗馬などを楽しんでいました。

悲劇のスコットランド女王として知られるジェームズ5世の娘、メアリー・ステュアート(彼女の時代に、一族の姓はステュワートよりもフランスらしい響きを持つステュアートに変わっています)も宮殿とその周囲を気に入り、フォークランドで狩りや乗馬などを楽しんだそうです。
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Hazuki Akiyoshi Hazuki Akiyoshi