イングリッシュ・ガーデンを巡る旅~シシングハースト・カースル・ガーデンを訪ねて~ Vol.1

世界中からガーデニングファンが訪れる、シシングハースト・カースル・ガーデン。ガーデニングに多大な影響を与え、またイギリスで最も愛されている庭とも言われています。ヴィタとハロルドが30年の年月をかけて造り上げたガーデンの歴史、その魅力をレポートします!

最も愛されている庭、シシングハースト・カースル・ガーデン

イングリッシュ・ガーデンが好きな方であれば、一度は聞いた事のあるガーデンであるはずの、シシングハースト・カースル・ガーデン。

1930年に詩人であり、作家、園芸家でもあるヴィタ・サックヴィル=ウエストと、作家であり外交官でもあった、その夫ハロルド・ニコルソンが購入し、30年間にも及ぶ庭造りを経た後、1967年からナショナル・トラストが管理しています。

訪れた日は好天に恵まれ、イギリスでは暑いくらいの一日でした。車を降りて、シシングハースト・カースル・ガーデンのメインハウスが見えてくると、胸がわくわくしてくるのが抑えられません。

シシングハースト・カースル・ガーデンがあるケント州はホップが有名な場所として知られており、今もなお、あちこちにたくさんのホップ乾燥所を見る事が出来ます。

このシシングハースト・カースル・ガーデンの入り口にも、エリザべシアン・バーンと呼ばれる見事なホップ乾燥所があり、現在は資料館として使われ、またこの奥がチケットオフィスになっています。

チケットオフィスのすぐ傍には、このようなボードが。
ガーデンでの盛りの花や見どころ、本日の催し物などが記載されています。

メインハウスとライブラリーの間にあるアーチの途中には、ガーデナーからのお知らせのボードがあり、その横にはおしゃれに飾られた花々が。
古びた煉瓦の雰囲気としっくり溶け込んでおり、そのセンスの良さに感動でした。

シシングハースト・カースル・ガーデンとは

ロンドンから南東に位置するケント州にあるシシングハースト・カースル・ガーデン。
今や世界中からガーデニング愛好家たちが訪れるガーデンとなっていますが、この庭を造ったヴィタ・サックヴィル=ウェストと、その夫ハロルド・ニコルソンがこの場所を購入した時は、そこは古びた廃墟と荒れた土地でした。

しかし、シシングハーストは長い歴史を持ち、以前は優美な地所であった時代もあるのです。
その昔はサクソンの養豚所として使われていたため、森林を意味するハーストを付け、サクソンハーストと呼ばれており、ベイカー卿が維持していた15世紀にはエリザベス1世もこの屋敷に滞在しています。

その後、美しいチューダー様式のこの建物は、1756-63年に行われた7年戦争の際、イギリス軍によって捕虜となった3000人ものフランス海軍のための牢獄として使われていた事もありました。

その後も持ち主や用途が移り変わり、1928年にシシングハーストが売りに出された時は、誰も欲しがらない状態で、2年間は買い手が付きませんでした。

1930年、ヴィタとハロルドがシシングハーストを見に来た時は、建物は農場で働く人々の住居として使われ、庭は農民の手によって野菜が育てられていました。
家屋は荒れ果て、屋敷内には電気もなく、水も出ない有り様で、かろうじて暖炉が使えるだけの状態でした。
しかし、ヴィタはこの場所に訪れた瞬間に、恋に落ちたと書き残しています。
それはまさに一目惚れの状態だったそうで、この庭は眠り姫のガーデンである・・・そして助けを求めていると、記しているのです。

こうして、ヴィタとハロルドによる、シシングハースト・カースル・ガーデンの歴史がスタートしたのです。

創造主・ヴィタ・サックヴィル=ウェストとハロルド・ニコルソン

世界中から訪れる人が絶える事の無いシシングハースト・カースル・ガーデン。そこまで多くの人々を惹き付ける魅力とはいったいどのようなものなのでしょうか。

ガーデンの美しさもさることながら、ガーデンを造り上げたヴィタ・サックヴィル=ウェストと、ハロルド・ニコルソンの二人の洗練され、卓越した創造力と、あふれんばかりの力強い情熱をなくしてはその魅力は語れません。

ヴィタ・サックヴィル=ウェストは1892年、シシングハーストからは20マイル(約32キロ)ほどの場所にあるセブンオークスからほど近い、イギリスでも最も大きい館のひとつであるノール・ハウスで、サックヴィル家の一人娘として生まれています。

ヴィタはノール・ハウスをこよなく愛し、また子ども時代は友達を家来に見立て、男の子のように遊んでいました。

また、彼女の初恋は10代の頃、同じ年の知的な美しい少女、ロザムンド・グロブナーで、ただし二人はセクシュアルな関係ではなく、ロマンティックな感情を抱き合う友達同士だったそうです。

ヴィタは21歳の時に、当時26歳であった外交官であるハロルド・ニコルソンと結婚しますが、その時までをノール・ハウスで過ごし、結婚後もハロルドが仕事で不在の際には、度々この屋敷に戻っています。

ヴィタとハロルドはロンドンのイートンスクエア近辺に家を持っていましたが、田舎にも住居を求め、ノール・ハウスからほど近いロング・バーンという14世紀に建てられたコテッジを1915年に購入しています。

彼らの結婚はオープン・マリッジであり、結婚後も自由に他の人を愛する権利を持ち続ける、というものでした。二人は共にバイ・セクシュアルであったと言われ、またお互いにそれを容認していたと言います。

ヴィタの恋愛で有名なものは、知的で美しく、また作家であった女性、ヴァイオレット・トレフューシスとの関係で、二人はフランスへと駆け落ちする事件も起こしています。

また作家であるヴァージニア・ウルフとの恋愛では、ウルフは『オーランドー』という、ヴィタへのラブレターのような小説を残しています。

ヴィタは自分が生まれ過ごしたノール・ハウスに対し並々ならぬ愛情を抱いていましたが、当時イギリスでは男性でなくては相続権はなく、ノール・ハウスは叔父のチャーリーに譲られます。

この事はヴィタを非常に傷つけ、また彼らの田舎の住居であったロング・バーンがノール・ハウスから近い事も彼女を苦しめたそうです。

シシングハーストを購入する前に、ヴィタがその歴史について調べると、ヴィタの家系との繋がりが発見されます。
かつての持ち主であったリチャード・ベイカー卿の妹は、ヴィタの祖先であるトーマス・サックヴィルと結婚していたのです。

あれほど愛していたノール・ハウスを手に入れられなかった欠乏感が、彼女のシシングハースト・カースル・ガーデンへの情熱へと変わったとしても不思議ではないと言えるでしょう。

シシングハーストにおけるガーデンの魅力

シシングハースト・カースル・ガーデンはガーデンが細かく分かれ、それぞれが様々な要素を持ち、またその色彩やテーマも異なる事で知られています。

ヴィタとハロルドは、シシングハーストを購入する前に維持していたロング・バーンで既に10~15年ほど庭造りを行っていたので、植物に関する知識や経験もありました。
庭園の設計はハロルドが行い、植栽はヴィタが担当しましたが、ヴィタの植栽の信条は『詰め込む、詰め込む、詰め込む ― 全ての隙間に、狭間に』というもので、これは現在のシシングハーストを見ても納得出来るものです。

こちらの写真は、まだ花は大きくなる途中ではありますが、ヴィタの書き残した信条に沿うかのように、植物は隙間に詰め込まれ、植えられているのが分かります。

ガーデナーにとっては植物を植える際、周囲にはスペースを取って植えなくてはならない、というセオリーがありますから、シシングハーストの植栽を見ると、植え込みすぎてはいないか?という不安に感じる部分もあるのですが…

全体の構図を見ると、決して窮屈さを感じることなく、それどころか植物の美しい配置バランスに圧倒されるほどなのです。

色彩豊かなロマンティックなヴィタの植栽を生かすのは、ハロルドが入念に計画し、設計した壁や垣根、芝生になります。

ハロルドはシシングハーストを幾つかのROOMと呼ばれるエリアに分け、そこに壁、垣根を有効に使い、ひとつずつがプライベートな空間を持つ場所へと造り上げています。

ハロルドは『イギリスの芝生は私たちのガーデンの基本となっている』と書き残しており、『ガーデンデザイナーたちは、素晴らしいイングリッシュガーデンの基礎となるのは、水、木々、垣根と芝生、という事に気付くべきだ』とも伝えています。

現在でもシシングハーストの芝生の美しさは目を見張るものがあり、全ての芝生は週に一度刈り取られているそうです。

刈り取る長さは7/8インチ(約2.3センチ)と決まっており、美しい交差模様の刈り取りは、しっかりとしたパターンを維持するために方向が決まっているのだそう。
芝生が庭の中で、花や植物の美しさ、建物との絶妙なバランスを惹き立てているのが分かります。

今もなお、人々を魅了してやまないシシングハースト・カースル・ガーデン

ヴィタとハロルドが類まれなる創造力と情熱を持って造り上げた庭、シシングハースト・カースル・ガーデン。

ヴィタがシシングハーストに恋に落ちてから、既に90年近い年月が流れていますが、今もなお、訪れる人々を魅了せずにはいられないガーデンです。

次回はシシングハースト・カースル・ガーデンのテーマやテクニックなどのレポートをお届けします。