スコットランドでガーデンを楽しもう!~アボッツフォード・ハウス~

英国でガーデンに滞在しよう!と計画した時、スコットランドはそのチョイスの中には入らないかもしれません。でも 実はスコットランドにも、数多くの魅力的なガーデンが存在します。スコットランドへの旅行では、エディンバラやグラスゴー、そしてハイランド地方などの観光名所が思い浮かびますが、ガーデナーの方はぜひ、ガーデンの滞在を楽しんでみませんか? 今回はアボッツフォード・ハウスのレポートをお届けします!

アボッツフォード・ハウスとは

アボッツフォード・ハウスはスコットランド南東部、スコティッシュ・ボーダーズと呼ばれるエリアに位置しています。
エディンバラからは列車で1時間弱ほどの距離となり、行き来のしやすい場所にあるのも観光の時には便利ですよね。

列車やバス、あるいは車で移動すれば、スコットランドの景色を存分に味わえる事が出来るはず。
エディンバラやグラスゴーといった都市とはまた違った魅力にあふれています。

このエリアにはツイード川が流れているのですが、この川はイギリスとスコットランドの境界線から、西から東へとボーダーズ内に流れ、全長は約156キロメートルと言われています。

また、この川の名前はスコットランドの毛織物で有名な『ツィード』生地の語源となっています。

アボッツフォード・ハウスは詩人、歴史小説家、劇作家であり、弁護士、裁判官でもあったサー・ウォルター・スコットの建てた邸宅と庭園として知られています。

ウォルター・スコットの作品は、イギリス文学とスコットランド文学の古典として知られており、またスコットランド紙幣に彼の肖像が使われている事でも有名で、正にスコットランドを代表する作家と言える人物なのです。

サー・ウォルター・スコット

ウォルター・スコットは1771年8月15日に、父は弁護士、母は大学教授の娘というアカデミックな家庭に、9番目の子供としてエディンバラで生まれています。

12人いた兄弟のうち、6人は幼児期に亡くなっており、ウォルター・スコット自身も1773年にポリオにかかり、脚が不自由になってしまいます。

彼の両親はウォルターの脚を治すために、スコットランドのボーダーズにあった祖父母の農場へ彼を送ります。

ウォルター・スコットはここで叔母のジェニーから読み書きを教わり、多くの物語や伝説を学びます。幼い頃のここでの暮らしが、彼の後世の仕事と人生に大きく影響していくのでした。

1778年にウォルター・スコットは進学のためにエディンバラへ帰り、やがてエディンバラ大学へと入学、その後、父と同じ弁護士の道を歩みます。

ウォルター・スコットは幼い頃の影響からか、騎士道のロマンスや詩、歴史や旅行に関する本を好み、また、スコットランドに古くから言い伝えられている物語に魅了されていました。

彼は仕事を続けながら、自らも執筆に取り掛かり、25歳でドイツ語の作品を翻訳し、1796年に最初の作品を出版しています。

また、彼の学生時代からの友人である、ジェームズ・バランタインはウォルター・スコットより共同出費され、印刷・出版会社を設立し、ウォルター・スコットはこの事によって次々に作品を世に出し、世間に彼の詩は知られるようになり、作家としてのスタートを切りました。

また、ウォルター・スコットは友人と湖水地方を訪れた際に出会った フランスのリヨンのジャン・シャルパンティエの娘、シャーロット・ジュネヴィエーブ・シャルパンティエと1797年に結婚、エディンバラに住居を構えます。

1799年、作家としての活動も続けながら、ウォルター・スコットはスコットランド・ボーダーズにあるセルカーク州の州知事代理に任命されますが、この地位は居住要件があったため、エディンバラに住みながら、最初は地元の旅館に宿泊していました。

その後1804年、ウォルター・スコットはセルカークから6マイル(約9.7キロ)ほどにある、ツイード川の南岸に位置している Ashestiel に家を借りました。この事がアボッツフォード・ハウスの始まりとも言えるでしょう。

1811年に Ashestiel の家の借用期限が切れた際、ウォルター・スコットはボーダーズ地域にあるメルローズにほど近い、ツイード川の南岸にあるカートレイ・ホールと呼ばれていた農場を購入します。

1812年、この農場にコテッジを建てた際、ウォルター・スコットはそこを『アボッツフォード』と名付けます。

彼はコテッジから住居を拡大し続け、のちにアボッツフォード・ハウスと呼ばれる邸宅、そして庭園を造り上げていくのです。

ウォルター・スコットはスコットランドでは知らない人はいない著名人ですが、その功績の名残をあちこちで目にすることが出来ます。

まずひとつ目は、スコットランドの首都、エディンバラのメインの駅となり、かつ最も有名な駅であるウェイバリー駅。

1814年、ウォルター・スコットの詩は既に有名になっていましたが、小説は詩に比べ美的に一段劣ると言われていた時代に、彼は匿名で小説を発表します。

のちに自身の作品であると述べられた彼の小説『ウェイバリー』、またその後の一連の小説はウェイバリー・ノベルズと呼ばれるようになるのですが、スコットランドの首都エディンバラの『ウェイバリー駅』は、彼の小説がその名の由来となっています。

また、スコットランドと聞いて、頭に思い浮かべる事の多いのが、タータン柄のキルトという名の民族衣装。
実はこの衣装にもウォルター・スコットが大いに関係しています。

1820年、ウォルター・スコットは彼の小説のファンであったというジョージ4世から、准男爵であるサーの称号を与えられています。

また、そのジョージ4世が1822年にスコットランドへ訪問する際に、エディンバラ市議会はジョージ4世本人からの願いもあり、ウォルター・スコットに舞台管理を依頼し、彼は各人がタータンの服装で出迎える案を計画、実行します。

また、この機会にジョージ4世もタータンを身に着ける事が分かると、これによりタータンのブームが巻き起こります。ちなみにこの時にジョージ4世がまとったものが『ロイヤル・スチュアート』と呼ばれているタータンです。

かつて1746年に起きた、イギリスに対する反乱であるカロデンの戦いの後に禁じられていたキルトとタータンの着用は、見事に復活を遂げました。
その後スコットランドのアイデンティティを表す力強いシンボルとなったのです。

作家としてだけでなく、多くの才能に満ち溢れていたウォルター・スコット。スコットランドに来たなら、エディンバラに位置するスコット・モニュメントや、グラスゴーのジョージ・スクエアにある高い柱の上に立つスコットの彫像など、その姿や彼の偉業を称える風景をあちこちで目にする事が出来るでしょう。

アボッツフォード・ハウスのガーデン

ウォルター・スコットがボーダーズに購入した農場は広さ約100エーカー(404,686㎡、東京ドーム約6.8個分)の大きさで、最初に小さなコテッジを建てた後に住居を徐々に拡大し、大きな邸宅を造っていきます。

現在こちらの建物は庭園とともに一般公開されており、ウォルター・スコットゆかりの品々を見る事が出来ます。
今回はご紹介しきれませんでしたが、ウォルター・スコットに興味がある方は、是非邸宅もご覧になる事をおすすめします!

また今回ご紹介する、同じく一般公開されている庭園は、3つのエリアに分かれています。
レイアウトは基本的にウォルター・スコットによって、彼がアーティストや建築家、友人からアドバイスを受けて設計されたもの。

しかし邸宅を相続した彼の子孫が、時代とともに変化していく必要性のため、ガーデンのスペースやデザインなどは変更された箇所も多くあるそうです。

サウス・コート

入り口から入ってすぐに目につくアボッツフォード・ハウスと、その正面の庭はサウス・コートと呼ばれており、整えられた景観が目を引きます。

ここはウォルター・スコットが設計した最初の庭だそう。重厚な雰囲気を持つバロ二アル風の邸宅と、整然と並ぶトピアリーのコンビネーションが美しく、男性的な印象を与えています。

ウォルター・スコットはスコットランド各地の歴史的な工芸品を収集しており、また中世とローマの石造物も多く集めていたので、それらの一部が高い壁の中に埋め込まれ、訪れた人々が鑑賞出来るようになっています。

サウス・コートはアボッツフォード・ハウスのエントランスとも言える場所で、ウォルター・スコットの多くの友人たちが訪れた際に最初に目にする庭園でもありました。

モリス・ガーデン

サウス・コートから続いた先に、一段低い場所に造られた庭園がモリス・ガーデンになります。
この庭園はウォルター・スコットが設計した部分もあるものの、多くの場所が変更されたエリアでもあるそうです。

前方と後方に花壇のエリアがありますが、あまり花が多く植えられている印象はありません。しかしそのせいでしょうか、中央に配置された彫像がひときわ目立つようになっています。

この彫像は、ウォルター・スコットの小説『ロブ・ロイ』の登場人物の一人であるモリスです。

ウォルター・スコットの死後、この近辺に住む彫刻家が小説『ロブ・ロイ』の中にある、ロブ・ロイの妻であるヘレン・マクレガーに慈悲を申し出るモリスの姿を作成し、この場所に置かれました。その為にこの場所はモリス・ガーデンと呼ばれています。

不思議に感じたのはモリスは小説『ロブ・ロイ』の主人公ではないのですが(ちなみにロブ・ロイも主人公ではありません)、なぜ彼の彫像だったのでしょう?
この事は調べてみても分からなかったので、次回滞在する時にスタッフの方に聞いてみようと思います!

ちなみに入り口にあるチケットオフィス兼ショップはとても大きく、カフェも併設されています。スタッフの方が皆さんフレンドリーで、親切な方ばかりだったのが印象的でした。邸宅やガーデンについて質問がある方は、是非ショップの方に尋ねて下さいね。

ウォールド・ガーデン

アボッツフォード・ハウスの3つある庭園の中で、初めに目にするふたつのガーデン、サウス・コートとモリス・ガーデンは、レイアウトも非常にシンプルで、またフォーマル、そして男性的な印象を受けます。

しかし3つあるガーデンのうち、最も記憶に残るもの、そしてガーデナーの方にとって見ていて楽しいのが、一番奥に配置してあるウォールド・ガーデンではないでしょうか。

この場所は初めキッチン・ガーデンとして設計されており、ウォルター・スコットの家庭に必要な野菜や果物を栽培していたのだそう。

キッチン・ガーデンは、19世紀初頭のスコットランドでは重要な栄養源でした。
また、ウォルター・スコットの邸宅は訪問客が多かったため、キッチン・ガーデンはなくてはならないものだったようです。

この四方を壁に囲まれたガーデンの大きさは約1エーカー(約4046㎡)となり、今では多くの花が咲き誇っているウォールド・ガーデンとなっていますが、まだ一部分では野菜も育てられており、ウォルター・スコットの時代のキッチン・ガーデンとしての名残をとどめています。

ちなみにここで採れる野菜はショップにあるカフェに提供しているそうですよ。ここには軽食やアフタヌーンティーなどのメニューがあるので、ランチの時間に合わせて利用してみてはどうでしょうか。

このウォールド・ガーデンは後方に向かって緩やかな傾斜を描いており、ガーデンの最上部のエリアにはグラスハウスが設置されています。

このグラスハウスはウォルター・スコットがデザインしたもので、ガラスの屋根が付いており、一部のガラスは壊れておらず、その時代のものが残っているのだそう。

この時代のグラスハウスが現存しているのは非常に珍しく、貴重なものとなるそうです。200年もの月日を経てもまだ現存しているとは驚きです!

このグラスハウスはウォールド・ガーデンの一番奥に設置されているので、ここからの眺めは素晴らしいものでした。

庭の鮮やかな花たち、そしてその後ろに見えるそびえ立つ美しいアボッツフォード・ハウス、そして周囲に広がるスコットランド・ボーダーズの田園風景。

スコットランドが一番美しい季節である初夏、天気の良い日にここからガーデンと邸宅を眺めるのは至福のひと時に違いありません。

グラスハウスはウォールド・ガーデンのフォーカルポイントとも言えるもので、今でも温室としても使われており、滞在した日にはリリーが室内で育てられていました。

アボッツフォード・ハウスのガーデンのレイアウトはとてもシンプルなものですが、その素朴さがこのガーデンで咲くナチュラルな植物を生き生きとさせています。

ウォールド・ガーデンの中央にはグラスハウスに向かって小道が造られ、左右には鮮やかな花たちが。

とてもバランスの良いレイアウトとなっており、様々な高さや色合いを持つ花が美しく見えるように植えられていました。

こちらのウォールド・ガーデンでは、他の多くのガーデンで見られるメドウが、ガーデンの中央寄りにあったのも印象的でした。

このメドウがガーデン内にあるせいか、アボッツフォード・ハウスのウォールド・ガーデンは整えられたフォーマルな装飾的なガーデン、と言うよりも、ナチュラルさを感じさせる素朴な雰囲気にあふれています。

また、ガーデン内のアーチや支柱、オベリスクなども木で作られたものを使用したりと、ガーデンのイメージは華やかさよりも飾り気のない、自然と一体化しているという印象を受けました。

もちろん個人の庭としては非常に大きなものですが、自宅の庭造りのヒントになりそうな個所もたくさん感じられるガーデンです。

誇り高きスコットランド人、ウォルター・スコットの晩年

ウォルター・スコットがボーダーズに移り住んだのちの1825年、英国全体に銀行危機が発生し、彼が共同出費し、友人のジェームズ・バランタインが経営していた印刷業が経営不振となり、ウォルター・スコットは莫大な借金を負う事になります。

その金額はなんと130,000ポンド、現在の金額にして約960万ポンド=約14億円相当にも上ってしまったのでした。

しかしウォルター・スコットは破産を宣告する事もなく、また、ジョージ4世をも含む彼の多くの支持者からの財政的な援助を受け取る事もなく、彼は自身の家と収入を元にこの借金を返していきます。

ウォルター・スコットは1831年までにナポレオンの伝記を製作しただけでなく、小説の分野においても、驚異的な勢いで執筆を続けました。

このため彼は健康を害してしまうのですが、この時代の作家としては珍しく、存命中に国外でも非常に人気のあったウォルター・スコットは、ヨーロッパツアーに出かけ、どの国でも非常に歓待されます。

しかしこの旅行中に病気を悪化させたウォルター・スコットは、最後にアボッツフォード・ハウスからの景色を眺めたいと望みます。

スコットランドに帰国したウォルター・スコットは1832年、アボッツフォード・ハウスで息を引き取りました。

ウォルター・スコットは莫大な借金のために寿命を縮めたと言われていますが、彼の小説はその後も売れ続け、死後に借金は全て返済出来たそうです。

ウォルター・スコットはまだその頃はよく知られていなかった為に、まるで野蛮人のように見られ抑圧されていたハイランド地方とその文化の一般的な認識を覆しました。

また歴史小説の発明者とも言われたウォルター・スコットは、スコットランドと文学の発展に大きく貢献しています。

スコットランド人はもちろん、未だ世界各国に多くのファンを持つ彼の偉大な業績を支え、心の故郷となったであろうアボッツフォード・ハウスとその庭園は、スコットランドに来た際にはおすすめしたい場所のひとつです。

なお、アボッツフォード・ハウスの一般公開されている邸宅の隣の練は、現在ではホテルになっており宿泊も可能です。

スコットランドを代表する作家の邸宅に泊まったり、美しいガーデンや、ここではご紹介しきれなかった敷地内を散策出来る、アボッツフォード・ハウスに滞在してみませんか?

おすすめの季節は、スコットランドの気候が一番良いと言われている7月。ロンドンに比べ気温が通常5度ほど低いスコットランドですが、その頃であればガーデンの花もきっと美しく咲いているでしょう。

アボッツフォード・ハウスへの行き方

アボッツフォード・ハウスの最寄りの駅はTweedbank (ツイードバンク)駅になります。
エディンバラはウェイバリー駅から直通で約1時間、その後ツイードバンク駅からバスで約15分の場所にあります。

バスはすぐ近くまで来るものと、徒歩10分かかる場所で降りるものの2種類があるので事前に確認して下さいね。

また、列車やバスの乗り換えはちょっと苦手、という方には、エディンバラのオールドタウンからアボッツフォード・ハウス近くのKingsknowes Drive まで約1時間半で到着するバスも出ています。

あるいは、ツイードバンクからスコットランド・ボーダーズ近辺を巡るホップオン・ホップオフのバスも出ています。
運休の時もありますので、料金や時間などの詳しい情報は、下記のウェブサイトを参考にして下さいね。
なお、ツイードバンク駅からアボッツフォード・ハウスまで約2.5キロ、歩いて行くと約30分ほどで到着します。

バスの乗り降りは苦手、という方や、歩くのには自信がある、という方はウォルター・スコットが愛したボーダーズ地方を眺めながら、お散歩がてらのんびり来るのもおすすめです。

入場料、オープン時間などその他の詳しい情報は、下記で紹介するサイトを参考にしてみて下さいね。