イングリッシュ・ガーデンを巡る旅~パシュリー・マナー・ガーデンを訪ねて~

ケント州とサセックス州のボーダーにある、パシュリー・マナー・ガーデン。まだあまり日本では有名ではないかもしれませんが、庭の他にも由緒ある邸宅や、敷地内に点在する彫刻など、見どころいっぱいの素敵なガーデンです。このマナーハウスの歴史、そしてガーデンのレポートをお届けします!

イギリスの南東部に位置するイースト・サセックス。ヘイスティングスやライ、イーストボーンなどの街が有名ですが、このイースト・サセックスにあるタイスハーストには、パシュリー・マナー・ガーデンという素敵なガーデンがあるのをご存知でしょうか。

ガーデンの最寄り駅までは、ロンドンから列車でおよそ約1時間10分ほど。ロンドンを中心として観光する際にも、気軽に行く事の出来る距離にあります。

パシュリー・マナー・ガーデンは、4月後半から5月初旬にかけて、毎年チューリップ・フェスティバルという、およそ30,000本ものチューリップが美しく咲き乱れる姿を楽しめる、チューリップの祭典を行っていることで有名です。

残念ながら滞在した日は、チューリップも終わり(ちょうどガーデナーさんたちが花が咲き終わったチューリップのケアをしている時でした)、またその他の花の季節にはまだ早い、というちょっぴり中途半端なシーズンになってしまいました。

それでも天候はイギリスにしては素晴らしいもので、広い敷地内を散策しながら、庭園を堪能する事が出来ました!

パシュリー・マナー・ガーデンは1981年にオーナーとなった、ジェームズ&アンジェラ・セリック夫妻が1992年から一般公開しているガーデンです。(ガーデンのみオープンとなり、邸宅内は一般公開はされていません)

庭園はハーブ・ボーダーやホット・ガーデン、キッチンガーデンやウォールガーデン、プールガーデンなどのエリアに分かれ、また11エーカーを誇る広大な敷地内に大小さまざまな池があり、全てを歩いてみるにはそれなりの時間が必要かもしれません。

パシュリー・マナーハウスとガーデンの歴史

パシュリー・マナーハウスの歴史は古く、1292年、サー・エドモンド・ド・パーセル氏が、堀のある屋敷を建てたのが始まりです。

史実上ではその後、この家族に苗字に変化が見られたのか、パーセル、もしくはパシュリーとその名が残る一族が1454年までこの邸宅を維持していたそうです。

その年に、最初の持ち主からパシュリーと名付けられたこのマナーハウスは、ノーフォーク出身であり、1457年にはロンドン市長にまで出世した、サー・ジェフリー・ブーリンを始めとするブーリン一家の手に渡ります。

ブーリン家で歴史上、最も有名な人物と言えば、サー・ジェフリー・ブーリンの曾孫であり、のちにイングランド王ヘンリー8世の2番目の妻となり、その後反逆罪で処刑されたアン・ブーリンに違いありません。

彼女の事は2008年に公開され、ナタリー・ポートマンがアン・ブーリンを、そしてアンの妹のメアリー・ブーリンをスカーレット・ヨハンソンが演じた事でも知られる映画、『ブーリン家の姉妹』をご覧になって、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

アン・ブーリンもこの屋敷で幼少時の幾らかの時間を過ごしたとも言われていますが、この史実は明確にはなっていないようです。

しかしパシュリー・マナーハウスとブーリン家の繋がりを示す、フィリップ・ジャクソンによるアン・ブーリンの彫刻は、庭園の池にある敷地で見る事が出来ます。

ブーリン家はこのパシュリー・マナーハウスを、一族が狩りをする際に使用していたと言われており、アンの曾祖父であるサー・ジェフリー・ブーリンは、1525年、息子であるサー・ウィリアム・ブーリンに譲り渡しています。

1536年、アン・ブーリンが反逆罪で処刑されると、ブーリン一家はパシュリー・マナーハウスや庭を含む敷地全体を売りに出す必要性に迫られます。
1539年、サー・ウィリアム・ブーリンの息子であり、またアンとメアリー・ブーリンの父親であるトマス・ブーリンによって売りに出され、1540年、サー・トーマス・メイによって購入されました。

邸宅とガーデンを含む敷地はなんと、東京ドーム52個分(!!)という大きさの約600エーカーもあったそうで、当時の値段である360ポンドで売却されています。

メイ家は成功した一族であったようで、パシュリー・マナーハウスを400年に渡り維持しています。その間、チューダー様式を誇る邸宅の正面を再建し、また増築も行っています。

メイ家の名を継ぐ男子がすべて亡くなった1795年、パシュリー・マナーハウスは牧師であるリチャード・ウェザレルと結婚した、娘のキャロラインに譲られます。

彼らの息子、ネイサンには二人の娘がいましたが、いずれも亡くなった後は、甥であるドクター・ホリスト氏が邸宅を相続していますが、維持する事が出来なくなったのでしょうか、1922年、彼はパシュリー・マナーハウスを売りに出しています。

イギリスでは後の1916年、首相となるロイド・ジョージが大蔵大臣であった時代の1910年に、所得税率と相続税の引き上げ、累進課税を強め、更には土地課税制度を含んだ人民予算案が成立しています。

そのため貴族の生活が楽ではなくなったからなのかは分かりませんが、その後パシュリー・マナーハウスには買い手がなく、邸宅が売りに出された1922年からは持ち主のいない状態が続きます。

残された記録としては第二次世界大戦中、空襲からの避難場所として地元の人々が使用していたとありますが、次のオーナーが現れる1945年までは誰にも使われる事のないまま、無人の屋敷となっていたのです。 

ガーデン・アワードをも受賞する、庭造りのスタート

1945年に購入した持ち主は、パシュリー・マナーハウスはまるで幽霊屋敷のようだった、と記しています。

1981年、現在のオーナーであるセリック夫妻がパシュリー・マナーハウスを購入した際は、ガーデンは以前の持ち主による何らかの努力が払われていたにも関わらず、堀や池は沈泥でふさがれており、庭に茂る低木は育ち過ぎ、芝生は今のように整備はされていない状態だったそうです。

いま現在の姿からは想像し難い、かつては荒れ果てた庭であったパシュリー・マナー・ガーデン。

美しいガーデンと言うにはほど遠く、ほぼゼロに近い状態だったであろう1981年に、セリック夫妻の類まれなる情熱と、それを助けたガーデナーたちの努力と共に、庭造りの第一歩がスタートしたのです。

1982年にウォールガーデンが計画され、1987年には南西の芝生が整備されています。マナーハウスから続く芝生のエリアは緩やかな傾斜となり、邸宅の裏側から池がバランス良く見えるように作り直されています。

今はティールームとなっている、エレガントで印象的なテラスは一定の高さにされ、花壇が家の両脇と芝生の周りに配置されました。

1990年にローズガーデンと洋ナシのツリーウォーク、キッチンガーデンがデザインされています。カラフルなハーブ・ボーダーが1998年の秋から着工が進み、翌年の1999年にはその美しい姿を見せています。

現在ジュビリー・コートヤードと呼ばれているオールド・ステイブル・コートヤードとティールームは、2001年に改装され、2009年1月、レセプションとギフトショップが増築されています。

セリック夫妻とガーデナーたちが情熱を込めて育て上げたパシュリー・マナー・ガーデンは、ヒストリック・ハウス・アソシエーションと、オークションで有名なクリスティーズのガーデン・オブ・ジ・イヤーを受賞しており、またマナーハウスはイギリス指定建造物の第一級(Grade-Ⅰ)に指定されています。

広大な敷地、そして歴史ある地所とは言え、荒れ果てた庭という出発点からのスタートであり、そこから一般公開へ、さらにアワードを受賞するまでに至る庭造りには、夫妻とガーデナーたちの揺るぎない意志と、感嘆に価する努力があったからに違いありません。

パシュリー・マナー・ガーデンの魅力としては、美しいガーデンもさることながら、歴史ある由緒ある建造物も見応えがあり、また庭のあちこちに芸術的な彫刻が飾ってあるのも特徴です。

この彫刻を眺めながらガーデンを散策するのがまた楽しい!こちらのガーデンに飾られている彫刻は販売品のものもあるようで、なかなかのお値段が付けられていました。

とても美しいプールガーデンは圧巻です。そばに配置されている彫刻がとてもリアルで思わずどきっとしてしまいました。

こちらはかつて池であった場所だそうですが、水漏れが激しく、沈泥でいっぱいであったためにこれを排出し、作り直さなくてはならなかったそうで、池の跡地はその後、この美しいプールガーデンに変貌を遂げました。

プールサイドにあるウォールガーデンもエレガントでロマンティックな雰囲気がいっぱい。こちらでドリンクを片手に夏の夕暮れを過ごす事が出来るなんて、羨ましい限りです。

ヴィクトリア朝中期の時代から存続しているというグリーンハウスは、初めは荒れ果て、床は崩れ落ち、植木鉢やガラスの破片でいっぱいだったという事ですが、今はそんな時代があった事など微塵も感じさせないほど、見事に復活を遂げています。

チューリップが終わり、ガーデンの花が満開、となるまでにはちょっと早い時期に訪れたのですが、このグリーンハウスの中では、これからの出番を待つ花たちの姿を眺める事が出来ました。

古い歴史を持ちながらも、あるいは壊されていたかもしれないグリーンハウスの中で、煉瓦の風合いと新しく咲き始めた花たちが、見事に調和していました。

ウォールガーデンとローズガーデン、そしてプールサイドのすぐ傍にある、こちらのグリーンハウスも必見のひとつではないでしょうか。

ガーデンの散策の途中で疲れたら、カフェになっているテラスでちょっとひと休みする事も出来ます。

イギリスで一般公開されているガーデンには殆どと言って良いほど、このカフェが併設されているのが常ですが、パシュリー・マナー・ガーデンのカフェはきっと上位に入るであろう、素敵なカフェでした!

ギフトショップも充実しており、センスの良いアイテムがたくさん。ガーデン散策のあとのお買い物も楽しめそうです。

是非次回は、チューリップの季節、あるいは花が咲き乱れるシーズンに再訪したいと思います!

パシュリー・マナー・ガーデンへの行き方

パシュリー・マナー・ガーデンのオープンは4月から9月まで。オープン時間や料金は、下記にあるウェブサイトをご覧下さい。

なお、ガーデンまでの行き方は、イギリスの郊外にある他のガーデンと同じく、車での移動が一番楽なものとなります。
もし公共交通機関で来られる場合には、ガーデンの最寄りの駅はEtchingham(エッチンガム)もしくは Wadhurst(ワドハースト)となります。

ロンドンから来るのであれば、ワドハースト駅の方が近いので、こちらで降りるのがおすすめ。ロンドンはチャリング・クロス駅、もしくはキャノン・ストリート駅から列車が出ています。

どちらの駅も小さく、タクシーは見つけにくいので、前もって往復のタクシーを予約しておく事をおすすめします。

『イングリッシュ・ガーデンを巡る旅~ケント地方おすすめのB&B Vol.2~』において、ケント地方の旅の仕方、そしておすすめタクシー会社を挙げていますので、参考にして下さいね。