歴史を肌で感じられる、フォークランドの村
フォークランド・パレスがあるフォークランドは、エディンバラから北東へ60キロほど進んだエリア、車で約1時間ほどの場所にあります。
フォークランドがあるファイフ州の中にはウィリアム王子とキャサリン妃が出会い、ともに卒業した大学のあるセント・アンドリュースもあり、フォークランドからは約30キロ強ほど、車なら30分ほどで移動できるため、カップリングとして行くのもおすすめのエリアです。
広大なゴルフ場もあり、世界的に有名な観光地であるセント・アンドリュースと違い、フォークランドの村自体は決して大きいものではなく、歩いて楽に回ることができるサイズ。
村の人口は2016年の統計によると1150人ほどと言いますから、その大きさは容易に想像できるのではないでしょうか。本当にこぢんまりとした、とても可愛らしい小さな村なのです。
フォークランドがあるファイフ州の中にはウィリアム王子とキャサリン妃が出会い、ともに卒業した大学のあるセント・アンドリュースもあり、フォークランドからは約30キロ強ほど、車なら30分ほどで移動できるため、カップリングとして行くのもおすすめのエリアです。
広大なゴルフ場もあり、世界的に有名な観光地であるセント・アンドリュースと違い、フォークランドの村自体は決して大きいものではなく、歩いて楽に回ることができるサイズ。
村の人口は2016年の統計によると1150人ほどと言いますから、その大きさは容易に想像できるのではないでしょうか。本当にこぢんまりとした、とても可愛らしい小さな村なのです。
海外ドラマ『アウトランダー』のロケ地として
周囲が美しい自然に囲まれたフォークランドの村の魅力は何と言っても、まるで時間が止まってしまったかのようなノスタルジックな景色です。
英国の多くの街や村で見かけるようになってきた、昔の街並みのままなのに目につくお店は大手チェーン店のものばかり、ということもなく、魅力的で可愛らしい個人のお店が点在し、時代を感じさせる建物がそのまま残っているのです。
英国の多くの街や村で見かけるようになってきた、昔の街並みのままなのに目につくお店は大手チェーン店のものばかり、ということもなく、魅力的で可愛らしい個人のお店が点在し、時代を感じさせる建物がそのまま残っているのです。
スコットランドが重要な舞台のひとつとなっている人気の海外ドラマ、『アウトランダー』では第1話目に、このフォークランドがロケ地として使われています。
『アウトランダー』は主人公クレアが1945年、第2次世界大戦終了後から、ジャコバイトの反乱の時代、1743年の時代へタイムスリップするところからスタートしています。
この古い歴史を感じさせる建物をそのままに残すフォークランドは、舞台の始まりにはぴったりの場所だったのでしょう。
『アウトランダー』は主人公クレアが1945年、第2次世界大戦終了後から、ジャコバイトの反乱の時代、1743年の時代へタイムスリップするところからスタートしています。
この古い歴史を感じさせる建物をそのままに残すフォークランドは、舞台の始まりにはぴったりの場所だったのでしょう。
上の写真の建物の右手のお店は、『アウトランダー』の主人公クレアが第1話目の始まりの際、花瓶を買おうかどうか悩んだ場所です。
現在はカフェとして使われており、撮影の際にはお店そのもののはその時代にあったものに変更されましたが、建物はそのまま使われています。
現在はカフェとして使われており、撮影の際にはお店そのもののはその時代にあったものに変更されましたが、建物はそのまま使われています。
そして上の写真の噴水の場所は、ハイランダーのジェイミーが雨の中、B&Bの窓から見える髪をとかすクレアの姿を、じっと見つめている場所です。
フォークランドに滞在した日も、『アウトランダー』のファンの方でしょうか、ジェイミーのようにこの噴水の横に立ち、記念撮影をしている人の姿を見かけることができました。
『アウトランダー』の物語の冒頭では、噴水の向こう側に見えるB&Bに、クレアと夫のフランクが宿泊しています。この建物は名前こそ異なるものの、現在でもB&Bとして存在しており、1階はパブとなっています。『アウトランダー』ファンの方であれば、ぜひ宿泊もしてほしいところです。
フォークランドに滞在した日も、『アウトランダー』のファンの方でしょうか、ジェイミーのようにこの噴水の横に立ち、記念撮影をしている人の姿を見かけることができました。
『アウトランダー』の物語の冒頭では、噴水の向こう側に見えるB&Bに、クレアと夫のフランクが宿泊しています。この建物は名前こそ異なるものの、現在でもB&Bとして存在しており、1階はパブとなっています。『アウトランダー』ファンの方であれば、ぜひ宿泊もしてほしいところです。
たくさんの楽しみ方があるフォークランド
今回滞在したガーデンのあるフォークランド・パレスは、街の中心地や駅からは離れた場所にあることの多い英国のガーデンと違い、村の中心部にあるところが特徴的です。
ガーデンや宮殿を見学し、さらにレストランやパブなどで食事、そして小さなお店を覗きながら散策……というたくさんの楽しみ方ができるので、スコットランドに来た際にはぜひおすすめしたい場所のひとつになります。
ガーデンや宮殿を見学し、さらにレストランやパブなどで食事、そして小さなお店を覗きながら散策……というたくさんの楽しみ方ができるので、スコットランドに来た際にはぜひおすすめしたい場所のひとつになります。
フォークランド・パレスの歴史
フォークランドの村の中心地にあるフォークランド・パレスは、スコットランド、そしてイギリスの歴史でも重要な役目を持ち、かつ不思議な運命を辿った宮殿でもあります。
フォークランド・パレスの歴史は古く、宮殿が建てられる以前の12世紀に、この敷地内には狩猟用のロッジが建てられていました。このロッジは13世紀には拡張され、当時のファイフ州の伯爵であったマクダフ一族が所有する城となったのです。
フォークランド・パレスの歴史は古く、宮殿が建てられる以前の12世紀に、この敷地内には狩猟用のロッジが建てられていました。このロッジは13世紀には拡張され、当時のファイフ州の伯爵であったマクダフ一族が所有する城となったのです。
狩猟用ロッジから城へと変貌を遂げたフォークランド城ですが、この城は1300年代後半に英国侵略軍によって破壊されています。そののちにこのフォークランドの持ち主となったのが、オルバニー公ロバート・ステュワートです。
オルバニー公ロバートは、スコットランド王ロバート2世の次男であり、「冷酷」というあだ名を持った野心家でした。
オルバニー公ロバートは彼の甥であり、兄のスコットランド王ロバート3世の息子であるロスシー公ディヴィッドを1401年、このフォークランド・パレスに監禁します。
誰にもその存在を顧みらることもなく、翌年の1402年にディヴィッドは死亡し(餓死したと言われています)、オルバニー公ロバートによる殺害が疑われたものの、結局は自然死として扱われ、オルバニー公ロバートには何らお咎めもありませんでした。
オルバニー公ロバートは、スコットランド王ロバート2世の次男であり、「冷酷」というあだ名を持った野心家でした。
オルバニー公ロバートは彼の甥であり、兄のスコットランド王ロバート3世の息子であるロスシー公ディヴィッドを1401年、このフォークランド・パレスに監禁します。
誰にもその存在を顧みらることもなく、翌年の1402年にディヴィッドは死亡し(餓死したと言われています)、オルバニー公ロバートによる殺害が疑われたものの、結局は自然死として扱われ、オルバニー公ロバートには何らお咎めもありませんでした。
無罪となったものの、弟であるオルバニー公ロバートによって息子、デイヴィッドが暗殺されたと思っていたスコットランド王ロバート3世は、もう一人の息子であるジェームズを守るために彼をフランスへ送ることを決意します。
しかし息子ジェームズは船でフランスに渡ろうとするも、オルバニー公ロバートからの妨害により捕まってしまい、イングランド王のヘンリー4世の捕虜になってしまいます。
イングランドはスコットランドに多額の身代金を要求しますが、オルバニー公ロバートはそれを払おうとはせず、ジェームズは18年もの間イングランドで人質として暮らすことになりました。
しかし息子ジェームズは船でフランスに渡ろうとするも、オルバニー公ロバートからの妨害により捕まってしまい、イングランド王のヘンリー4世の捕虜になってしまいます。
イングランドはスコットランドに多額の身代金を要求しますが、オルバニー公ロバートはそれを払おうとはせず、ジェームズは18年もの間イングランドで人質として暮らすことになりました。
しかし運命に翻弄されたジェームズはのちに「ルネッサンス時代のプリンス」と呼ばれたスコットランド王ジェームズ1世として、再びスコットランドの地を踏むことになります。
冷酷非道、野心家として知られたオルバニー公ロバートが亡くなると、スコットランドはイングランドに身代金を支払い、ジェームズは自由の身となります。
そしてスコットランド王、ジェームズ1世として即位した1424年にオルバニー公ロバートの息子マードックとその息子たちを処刑、オルバニー公一族は失脚することになりました。
冷酷非道、野心家として知られたオルバニー公ロバートが亡くなると、スコットランドはイングランドに身代金を支払い、ジェームズは自由の身となります。
そしてスコットランド王、ジェームズ1世として即位した1424年にオルバニー公ロバートの息子マードックとその息子たちを処刑、オルバニー公一族は失脚することになりました。
ジェームズ1世の息子であるジェームズ2世は1451年、ファイフ州の伯爵領とフォークランド・パレスを与えられます。
ジェームズ2世は彼の妻であるオランダ出身のメアリー・オブ・グエルダースがここで快適に過ごせるよう、宮殿の改装に着手します。
フォークランド・パレスの庭園も同時期にスタートしたようで、1456年には庭園の言及、庭師への賃金の記録が残っているそうです。
1453年から1460年の間、ジェームズ2世と妃はフォークランド・パレスを王の住まいとして承認し、ジェームズ2世は宮殿のある、小さな田舎の村であったフォークランドにロイヤル・バラ(国王が認めた自治都市)を授けます。
フォークランド・パレスは彼らの住居であったエディンバラにあるホーリールードハウス宮殿とともに、スコットランド王となったステュワート家のお気に入りの宮殿となりました。
そして彼らの子孫がイングランドとアイルランド、スコットランドの王となり、スコットランドを出てイングランドに渡るまで使用されていたのです。
ジェームズ2世は彼の妻であるオランダ出身のメアリー・オブ・グエルダースがここで快適に過ごせるよう、宮殿の改装に着手します。
フォークランド・パレスの庭園も同時期にスタートしたようで、1456年には庭園の言及、庭師への賃金の記録が残っているそうです。
1453年から1460年の間、ジェームズ2世と妃はフォークランド・パレスを王の住まいとして承認し、ジェームズ2世は宮殿のある、小さな田舎の村であったフォークランドにロイヤル・バラ(国王が認めた自治都市)を授けます。
フォークランド・パレスは彼らの住居であったエディンバラにあるホーリールードハウス宮殿とともに、スコットランド王となったステュワート家のお気に入りの宮殿となりました。
そして彼らの子孫がイングランドとアイルランド、スコットランドの王となり、スコットランドを出てイングランドに渡るまで使用されていたのです。
フォークランド・パレスが美しく改装されたのは、ジェームズ4世とジェームズ5世の時代です。1501年から1541年という40年の年月をかけ、古い宮殿はフランスの香りを漂わせる華麗な王宮に変身しています。
ジェームズ5世は宮殿の敷地内にロイヤル・テニスコートを建てましたが、これは現在では世界最古のテニスコートとして、今でもその姿を見ることができます。上の写真はテニスコート内、そして下の写真はその試合を見ることができる座席になります。
ジェームズ5世は宮殿の敷地内にロイヤル・テニスコートを建てましたが、これは現在では世界最古のテニスコートとして、今でもその姿を見ることができます。上の写真はテニスコート内、そして下の写真はその試合を見ることができる座席になります。
ジェームズ5世はフォークランド・パレスの改装に惜しみなくお金を費やし、エントランスにはふたつの大きな搭を追加しています。
また、スコットランドの美しい自然を堪能できるフォークランドでは、ステュアート家の人々は狩猟やアーチェリー、乗馬などを楽しんでいました。
悲劇のスコットランド女王として知られるジェームズ5世の娘、メアリー・ステュアート(彼女の時代に、一族の姓はステュワートよりもフランスらしい響きを持つステュアートに変わっています)も宮殿とその周囲を気に入り、フォークランドで狩りや乗馬などを楽しんだそうです。
また、スコットランドの美しい自然を堪能できるフォークランドでは、ステュアート家の人々は狩猟やアーチェリー、乗馬などを楽しんでいました。
悲劇のスコットランド女王として知られるジェームズ5世の娘、メアリー・ステュアート(彼女の時代に、一族の姓はステュワートよりもフランスらしい響きを持つステュアートに変わっています)も宮殿とその周囲を気に入り、フォークランドで狩りや乗馬などを楽しんだそうです。
たび重なる不運に見舞われたスコットランドの悲劇の女王、メアリー・ステュアートの息子であるスコットランド王ジェームズ6世は、1603年にイングランドとアイルランドの王となりジェームズ1世として即位します。
しかしジェームズ6世はイングランドに渡り王位を継いだあと、スコットランド、そしてファイフ州には1617年に一度戻っただけでした。
フォークランドはホーリールードハウス宮殿と同じく、王家のものではあるけれどその管理は『宮殿の管理人』に任されることになります。
1628年にジェームズ6世の息子であるチャールズ1世はフォークランドの庭園の改装を依頼し、1633年にはスコットランド訪問の際に宮殿で5泊滞在した記録が残っています。
すべての部屋はこの訪問のために新たに装飾し直されました。また、チャールズ2世は1651年にスコットランド王の戴冠式に赴いた際にフォークランドに滞在しており、これが君主がフォークランド・パレスに滞在した最後の記録となります。
しかしジェームズ6世はイングランドに渡り王位を継いだあと、スコットランド、そしてファイフ州には1617年に一度戻っただけでした。
フォークランドはホーリールードハウス宮殿と同じく、王家のものではあるけれどその管理は『宮殿の管理人』に任されることになります。
1628年にジェームズ6世の息子であるチャールズ1世はフォークランドの庭園の改装を依頼し、1633年にはスコットランド訪問の際に宮殿で5泊滞在した記録が残っています。
すべての部屋はこの訪問のために新たに装飾し直されました。また、チャールズ2世は1651年にスコットランド王の戴冠式に赴いた際にフォークランドに滞在しており、これが君主がフォークランド・パレスに滞在した最後の記録となります。
宮殿の管理人
スコットランドの王宮、そして王室を守る役割として、16世紀初頭から『宮殿の管理人』の職務はスタートしています。
ジェームズ5世はこの『宮殿の管理人』に、アンガス第6伯爵アーチボルトと、ジェームズ4世の未亡人であるマーガレット・チューダーの2番目の夫を指名しています。
その後もさまざまな『宮殿の管理人』が現れましたが、王が不在の中、宮殿や庭園の管理はもちろん、また改装もそれぞれの時代に『宮殿の管理人』によって行われています。
そして1887年、『宮殿の管理人』の職務は第3代ビュート侯爵であるジョン・パトリック・クリフトン・ステュアートの手に渡ります。
学者であり、歴史家、考古学者でもあったジョン・パトリック・クリフトン・ステュアートの時代から現在まで、クリフトン・ステュアート家はフォークランド・パレスと庭園の『宮殿の管理人』の職務を受け継ぎ、彼の子孫は現在もこの地に住んでいます。
そしてまた、宮殿と庭園はナショナル・トラスト・スコットランドによって管理され、一般公開されるようになりました。
フォークランド自体もとても魅力的な村ですが、このさまざまな物語を持ち、スコットランドの歴史とステュアート家に深いかかわりを持つフォークランド・パレスは滞在する価値のある場所です。
残念ながら宮殿内は写真撮影は一切禁止となっていますが、王の寝室やタペストリーなど見どころ満載の宮殿。フォークランドの村やガーデンとともにぜひ楽しんでほしいと思います。
ジェームズ5世はこの『宮殿の管理人』に、アンガス第6伯爵アーチボルトと、ジェームズ4世の未亡人であるマーガレット・チューダーの2番目の夫を指名しています。
その後もさまざまな『宮殿の管理人』が現れましたが、王が不在の中、宮殿や庭園の管理はもちろん、また改装もそれぞれの時代に『宮殿の管理人』によって行われています。
そして1887年、『宮殿の管理人』の職務は第3代ビュート侯爵であるジョン・パトリック・クリフトン・ステュアートの手に渡ります。
学者であり、歴史家、考古学者でもあったジョン・パトリック・クリフトン・ステュアートの時代から現在まで、クリフトン・ステュアート家はフォークランド・パレスと庭園の『宮殿の管理人』の職務を受け継ぎ、彼の子孫は現在もこの地に住んでいます。
そしてまた、宮殿と庭園はナショナル・トラスト・スコットランドによって管理され、一般公開されるようになりました。
フォークランド自体もとても魅力的な村ですが、このさまざまな物語を持ち、スコットランドの歴史とステュアート家に深いかかわりを持つフォークランド・パレスは滞在する価値のある場所です。
残念ながら宮殿内は写真撮影は一切禁止となっていますが、王の寝室やタペストリーなど見どころ満載の宮殿。フォークランドの村やガーデンとともにぜひ楽しんでほしいと思います。
半日でも、宿泊しても楽しめるフォークランドへ
スコットランド王となり、そしてイングランド、アイルランドの王にもなったジェームズ1世を始めとして、ステュアート家の物語を語る中で、重要な役目を担うフォークランド・パレス。
そのロマンティックな風情と、興味深い歴史を肌で感じさせてくれる建物は、スコットランドに数多くある宮殿の中でも見どころがたくさんある場所です。
フォークランドの村は小さく、フォークランド・パレスと庭園、そして村の散策を合わせても、半日もあれば見て回れることができるサイズです。他の場所とのカップリングとして観光したり、あるいは宿泊しても楽しめる場所ですよ。
次回は現在の『宮殿の管理人』であるクリフトン・ステュアート家によって蘇った、現在のフォークランド・パレスのガーデンについてレポートをお送りします。
そのロマンティックな風情と、興味深い歴史を肌で感じさせてくれる建物は、スコットランドに数多くある宮殿の中でも見どころがたくさんある場所です。
フォークランドの村は小さく、フォークランド・パレスと庭園、そして村の散策を合わせても、半日もあれば見て回れることができるサイズです。他の場所とのカップリングとして観光したり、あるいは宿泊しても楽しめる場所ですよ。
次回は現在の『宮殿の管理人』であるクリフトン・ステュアート家によって蘇った、現在のフォークランド・パレスのガーデンについてレポートをお送りします。